イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐乱刃‐ 本編(8)
「少し暇になってきたので、まだ説明していなかったことを話しましょう」
剣のカードに体と思考の自由を奪われた高町美由希が、悠然とレイピアの切っ先を揺らしながら口を開く。その彼女に挑発されているのは、地面に力なく膝を屈した二人の少女。
悔しさに歯噛みするアリサとすずかを睥睨しながら、剣のカードは美由希の口を介して話をはじめる。まるで勝利を確信しているかのような、どこまでも尊大で耳障りな声色で。
「このレイピアの切れ味は、使用者の思いに従って変動します。使用者が望まなければ紙すら切れませんが、もし望めば鋼鉄をも両断することができます。レイピアの斬撃を幾度も喰らっているにもかかわらず、あなたたち二人の体に切り傷ひとつないのは、つまりそういう理屈です。もっとも、鈍器でおもいっきり殴りつけられたような衝撃はありますが」
たしかに剣のカードが言及したとおり、すずかとアリサの柔肌には傷ひとつない。
だというのに少女たちは苦痛に顔を歪め、膝をついたまま立ちあがれずにいる。それは深刻な外傷によるものでなく、生殺しに等しい打撃にさらされ続けてきた憔悴ゆえであろう。
敵に一矢たりとも報いていない事実もまた、おそらく消耗の原因に違いなかった。
軋みをあげる体に鞭を打って、すずかはよろめきながらも立ちあがる。それから悠遠の先端を地面に突き立てて杖の代わりすると、アリサの手を引っ張って起きあがらせた。
おぼつかない体を互いに支え合いながら、すずかは眼前の美由希を苦々しげに注視する。
まさに掛け値なしの怪物だった。こと剣術の技巧に関してのみいうならば、高町美由希は間違いなく人外の化け物である。なるほど偶然とはいえ剣のカードは、自分を揮うに誂え向きの寄生者を見つけたらしい。その余裕綽々の態度や語調も、むべなるかなであろう。
実際に見知っているわけではないため断言はできないが、魔剣を装備した今の美由希の戦闘能力は、単身でベルカの騎士にも匹敵するのではないか。もしそうなら、どのような研鑽と執念の堆積が、魔法に頼らない生身の人間をここまでの凶器に練磨しうるのか。そして自分たちは、いったいどのような戦略を駆使すれば、この無敵無双の剣鬼を打破できるのか。
にわかじたての魔導師であるすずかには、幾何学よりもなお難しい問題であった。
――と、美由希の口元が陰惨に吊りあがる。なにか悪戯を思いついたときのような笑顔。
「芸のない鍔迫り合いばかりにも、そろそろ飽きてきたころじゃありませんか?」
「……だったら早く封印されなさいよ。私たちも、いいかげん疲れてきてるのよね」
美由希の声で告げられた剣のカードの提案を、アリサが冷ややかな口調で混ぜ返す。
美由希の肩が、さも困り果てたと言わんばかりに竦められた。芝居がかった動作である。
「ですから、ここで戦いの趣向を変えてみましょう。きっと、お気に召すと思いますよ」
意味深に
眉間に皺を寄せた解せない顔で、すずかはレイピアの切っ先が指し示す夜空を見あげる。
そして――真紅の双眸を見開いた。まるで異世界の光景を覗いてしまったかのように。
「……な、なに、あれ……星? さっきまで星なんて出てなかったのに」
「違うわ、すずか。あれは星なんかじゃない。だってあの光……どんどん数が増えてる」
すずかの呟きを、隣のアリサが金髪のショートボブを戦慄かせながら訂正した。
満天の夜空に浮かぶ無数の
すずかは今度こそ息を呑んだ。アリサの見地こそ真実なのだと、あやまたずに理解する。
もはや論ずるまでもなく明らかだった。星の群れと見紛う鮮烈な輝きの正体。それは――
「驚いてくれてなによりです。もう察しはついてるかと思いますが、あの光はもちろん星のそれではありません。大気中に散逸する無色の魔力を下地に構成した、金色に輝く魔力刃の群れです。この世界の……つまり地球の歴史上に存在した古今東西、ありとあらゆる刀剣の形状をなぞらえた散弾です。どうですか? なかなか壮観で豪華絢爛な眺めでしょう?」
蒼白の顔で立ちすくむアリサとすずかに、剣のカードは美由希を介して満悦そうに笑う。手ずから創作した芸術品の盛大さを誇らずにはいられない、そんな自賛に満ちみちた快活な笑顔。漆黒の全天を埋めつくす魔力刃の群れを背後にした美由希の姿は、剣を頭上に掲げて堂々と佇む威容とあいまって、まるで隊伍を組んだ重装歩兵を率いる軍神のようだった。
「そんなに怯えなくてもいいですよ。私が高町美由希を依り代にしている以上、その意思を裏切るような殺傷はありえませんから。ただそうですね……あなたたちは、死ぬほど痛い目に遭うだけですよ。いつ果てるともしれない斬撃に、その繊細な体を蹂躙されるだけです」
残酷な構想を軽い口調で宣言したあと、愉悦を孕んだ美由希の眼光が凄惨な光を放つ。
「ですから存分に味わってください。まるで流星群のように降り注ぐ、無限の剣戟を!」
振りおろされるレイピアの切っ先。それと同時に轟きわたる剣のカードの号令一下。月夜に勃然と現れた魔力刃の群れが先を争ってすずかとアリサへと殺到する。
刹那、着弾より遅れて響いた轟音が夜気を揺るがし、炸裂する閃光は昼夜を逆転させた。
呪いのように迫り来る星々の大群。間断なく容赦なく、刺突が海鳴臨海公園の広場を蹂躙する。この世の終わりが来たかのごとく、大気が悲鳴をあげ、無数の刃物が少女たちを穿つ。連続する魔力爆発が砂塵を巻きあげ、さながら入道雲のような煙幕となって周囲一帯に拡がる。その圧倒的な破壊の光景は、もはや闘争ではなく一方的な虐待の様相を呈していた。
それでもなお、魔力刃の落下は留まるところをしらない。降るような星空がほんとうに墜落してきたかのような剣戟の猛攻は、すずかとアリサの立ち位置を広場もろとも消し飛ばさんばかりの勢いで、文字どおり雨のように雷雨のように
やがて、およそ六十秒ものあいだ降り注ぎ続けた魔力刃の群れが、ぴたりと静止した。
それとほぼ同時に、満天に待機していた刀剣の弾雨も、すべて魔力へと還元していく。
「……いかがでしたか? 私からの、ささやかな贈り物は。気に入ってもらえましたか?」
美由希が得意そうな声音で訊ねた。その言葉は前方、立ちのぼる爆煙に向けられている。
ほどなくその濛々たる砂塵の中から、亀のようにうずくまった二つの影が見えてきた。
すずかとアリサだ。身にまとうバリアジャケットは無惨に切り刻まれ、女のデリケートな部分をかろうじて隠しているだけの半裸に近い姿だったが、それでも二人は健在であった。
のみならず、すずかとアリサの瑞々しい肢体には、奇跡のように傷跡がない。その足元や周囲の地面にもまた、破壊の痕跡は一切ない。さきほどの絨毯爆撃が嘘だったかのように。
むろん、それは美由希の手心に他ならない。すずかとアリサを傷つけたくないという潜在意識が剣のカードに作用し、その攻撃力を物理的なものでなく、魔力ダメージにのみ傾注させたのだ。結果、魔力で編まれたバリアジャケットはズタズタの鉤裂きにされたが、物質に直接的な干渉はしない魔力ダメージのおかげで、すずかとアリサは致命的な外傷を逃れたのである。でなければ今ごろ、すずかとアリサは仲良く地球の肥やしと化していただろう。
「おやおや。ずいぶんと、はしたない格好ですね。女性としての品位が疑われますよ」
「なにふざけたこと言ってるのよ! ぜんぶあんたの魔法のせいでしょうがッ!」
肩を揺すって嘲り笑う剣のカードを、顔を屈辱に歪ませたアリサが忌々しげに糾した。
「ついでに言っとくけどね、私の貞操は日本の国家予算よりも高いのよ。甘くみないで!」
「言っている意味がよくわかりません。たかが衣服を剥かれたくらいで、なぜそれほど激昂するのですか? ……まさか未成熟な裸体を見られることに羞恥を感じているのですか?」
「こいつ、取り澄ました顔で言いたい放題……もうなにがあっても許さないわ!」
美由希を介して平然と揶揄する剣のカードに、アリサの癇癪が激しい爆発を起こした。
体の疲労などないかのように立ちあがると、正眼に構えた緋炎に灼熱の奔流を宿らせる。そして落ち着き払った美由希の顔を、アリサは真っ赤な炎をまとった白刃越しに睨んだ。
「さあ、第二回戦をはじめましょう。今度こそ、あんたを封印してみせるわ」
「威勢がいいですね。まるで……隣の相棒から元気を吸い取ったみたいですよ」
「また得意の戯言かしら? そんなわけのわからない言葉に惑わされるわけない――」
言葉尻が宙に浮いた。鼻で笑いながら左隣を窺ったアリサの表情が驚愕に凍りつく。
そこにいた人物――月村すずかは、いまだ地面に膝を屈した姿勢のまま、顔をしかめた。
アリサと剣のカードのやりとりに口を挟まず、ただひたすらに体力の回復に努めていたが、それもどうやら限界らしい。できれば今の自分の状態を、気づかれたくなかったのだが。
血相を変えて見下ろしてくるアリサに、すずかは弱々しい微笑を作ってみせた。
「……そんな顔しないで。少し休めば、また動けるようになるはずだから」
「そんなこと言ったって……すずか、あんたどうして、そんな死にそうなくらい消耗してるのよ? 同じように魔力刃の攻撃を喰らった私は、ほとんどなんともないって言うのに」
アリサの驚きは当然だった。傍らの親友が、虫の息も同然に疲弊していたのだから。
そもそも魔力ダメージとは、攻撃対象の魔力値に損傷をあたえる魔法設定のことであり、魔力など微塵も持っていないアリサには無意味な、そして適応されない法則だ。もちろん、直撃すればそれなりの痛みと衝撃を伴うだろうが、魔法攻撃や物理衝撃を緩和する機能を実装しているバリアジャケットのおかげで、やはり彼女が感じるダメージは軽微なものになる。
しかし、魔力資質がないアリサとは違い、すずかには秘めたる魔導師の才能があった。かてて加えて、シルエットカードは"月村すずか"の魔力に感応する特質を持っている。それが奇しくも避雷針の役割を担ってしまい、すずかは魔力刃の集中砲火を存分に引き受けてしまったのだ。ほんらいアリサが負うべきダメージを、まるで肩代わりでもするかのように。
バリアジャケットこそ派手に切り裂かれているものの、陶器のように滑らかな白い肌には土砂をかぶったせいで付着した汚れが見出せるだけで、命に関わるような切り傷もなければ流血もない。にもかかわらず、すずかの損耗具合がアリサのそれと比較にならないのには、つまりそういう理由があった。
もっとも、それらすべての事象現象を少女たちが合点するのは、まだ先の話だったが。
焼けつくような痛みに
「どうやら底が見えてきたようですね。では、そろそろこの闘争にも終止符を打ちましょう」
「……底が見えてきた? 終止符を打つ? フン、笑わせるわね。それはこっちの台詞よ」
美由希を介して決着を宣する剣のカードに、アリサが揺るがぬ戦意こめて言い返す。
アリサは緋炎を正眼に構えつつ、すり足で前へ進み出る。すずかを背後に庇うように。
「……すずか。しばらく私が時間を稼ぐから、あんたは体力を回復させなさい」
後ろ姿のアリサが、囁くように告げた。いきなりの言葉に驚き、すずかは顔を上向ける。
「時間を稼ぐって……そんなのダメだよ! ひとりで戦うなんて危険すぎる!」
二対一で挑んでも敵わなかった剣鬼を相手に単身で突撃するなど、もはや自殺行為としか思えない。そんな捨て身を敢行しようとするアリサを、すずかは泣きそうな顔で戒めた。
すずかの悲痛な声に、アリサが肩越しに振り返る。その表情は朗らかな笑顔だった。
「そうね。我ながら無謀だと思うわ。……だから、早く回復させなさい。待ってるから」
そう言うが早いか、アリサは猛然と駆けだした。右手に炎を宿した白刃を引っ提げて。
すずかは乾いた喉を懸命に震わせるが、呼び止める声を放つことはできなかった。
全身を苛む激痛と極度の疲労のせいで、もはや指一本すら満足に動かせなかったのだ。
焦燥と情けなさに瞳を潤ませる彼女にできたのは、たったひとつの無力な行為。
どんどん遠くなっていく親友の後ろ姿を、ただ為す術なく見送ることだけだった。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
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知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
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