イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐乱刃‐ 本編(6)
海鳴臨海公園の遊歩道は、墨汁のようにねっとりと行く手を遮る暗闇に沈んでいた。
その漆黒があまりにも濃厚すぎて、周囲に繁茂する木々の形さえ満足に判別できない。
すずかの胸中に言い知れぬ不安が募っていく。まるで巨大な怪物に飲みこまれたような感覚。このまま暗黒に消化されるのではないかという恐怖。なぜか園内に踏みこんだ途端に利かなくなった霊感と夜目にも、そこはかとない不安を感じる要素があるのかもしれない。
「……ごめんね、アリサちゃん。こんな大事なときに、調子が悪くなっちゃって」
「すずかの力って、かなり一方的で不随意なものなんでしょ? だったら落ちこんでてもしょうがないわ。すずかの力が回復するまでは、私ひとりでがんばってみるから、ね?」
溜息をついて詫びるすずかを、アリサが明るく微笑んで励ます。気負いのない口調だ。
すずかは憂いを含んだ藍色の眼差しで、隣を歩くアリサの颯爽たる容姿を見やる。
今のアリサは制服姿でなく、魔導師の戦闘衣装――バリアジャケットに身を包んでいた。
ホルターネックのように首から袖ぐりの下までを斜めに大きくカットしたノースリーブの黒いトップスに、赤いタータンチェックのミニスカートを着ている。白い細腕の先は指の部分に布がない黒手袋、しなやかな太腿の半ばからは同色のストッキングで締まっている。
金糸細工のようなショートボブのサイドは猫耳を思わせる二つ結びにまとめられ、左手には鞘込めの倭刀を提げていた。柄頭に
動きやすさを重視した服とはいえ露出が多く蠱惑的な印象だが、それでいてアリサの雰囲気には、居合わせるだけで空気を引きしめるような凛烈さがあった。まるで猫科の猛獣めいた精悍な気配。不屈の意志を感じさせる翠緑の瞳が、その頼もしさを強調しているらしい。
すずかは制服の内ポケットから、待機状態のデバイス――少し大きめのトランプのような形状をした魔導器――を取りだす。ためしに「動け!」と念をこめてみるが、やはりなんの反応もない。壊れたオモチャのように動かない。魔力が十全に発揮されてるときは、このデバイスが煌々と光を放ち、すずかもアリサと同じように魔導師の姿へ転身できるというのに。
その様子を見ていたのだろう、アリサが元気づけるように、すずかの肩を叩いた。
「焦ることないって。どうせいつものごとく、遅れて反応するに決まってるんだから」
「わたしもそう思ってるんだけど……でも、やっぱり情けない気持ちが強くて」
すずかは深々と溜息をついた。意のままにならない自分の力がたまらなく恨めしい。
緋炎の魔力を自在に駆使できるようになりつつあるアリサに比べ、すずかのほうは魔力が発現したりしなかったりを繰り返すばかり。まるで他人の感覚のように制御できていない。だからいま、こうしてアリサに護られてしまっている。ほんとうは一緒に戦いたいのに。
すずかは自分の不甲斐なさに歯噛みする。と、いきなり目の前の暗闇に光が射しこんだ。
いつのまにか開けた場所に辿りついたらしい。随所に設けられた照明灯のおかげで、夜の帳は白くぼんやりと霞んでいる。明瞭になった視野であたりを見渡すと、噴水を囲んだ園内の広場だということがわかった。家族連れやら恋人やらが利用しそうな憩いの場である。
そして、最後にシルエットカードの気配を感じた、ここがまぎれもない敵陣だった。
「アリサちゃん、気をつけて。たぶん、この場所のどこかにシルエットカードがいる」
すずかは声をひそめて警告した。その緊迫した口調に、アリサもまた神妙な表情で頷く。
「すずかこそ気をつけて。今回のシルエットカードは、かなり性質が悪いみたいだから」
「うん。アリサちゃんも、自分の体を壊すような無茶な戦い方はしないでね」
「そんな戦い方をするつもりはないわ……でも、確約できるかどうかは自信ないけど」
はたと、アリサが前方の噴水を探るように見据えた。なにかの気配を感じたらしい。
すずかもまた、同じ場所に視線を移す。青白い光りにライトアップされた噴水を挟んだ向こう側。滔々と噴き出す水のカーテンに遮られて輪郭すらおぼつかないが、たしかにそこにはなにかがいた。まるで氷結した刃のような敵意を放つ、異質な存在感を持ったなにかが。
我知らず気を呑まれ、すずかは後退りしてしまう。臓腑がゆっくりと凍りついていく。
ふと、今さらながらに気がついた。この広場には、奇妙なほど人がいないのだ。まるで招かれざる客を拒む結界が張られているかのように。すずかとアリサの二人しか、いない。
「……そこにいるのはわかってます。姿を見せてください」
すずかの声は戦慄に震えていた。それは催促というよりも、ほとんど懇願のような口調。
生まれてはじめての経験だった。正体のわからない敵からの威圧を"痛い"と感じるのは。
そのとき噴水の向こう側に見える影が動いた。反射的にアリサが、すずかを背後に庇う。
水幕の裏手から、生身の実体を伴った人間が姿を現す。あたかも幽霊のような歩調で。
噴水を足元から照らす鬼火のような照明が、うっそりと登場したその人物の顔をつまびらかにする。臨戦態勢のアリサが息を呑み、すずかも当惑のあまり呆然としてしまう。
わけがわからなかった。なぜこの人がここにいるのか、さっぱり理解が及ばない。
呆気にとられたアリサとすずかの心境など知らぬげに、その人物は口元を歪めて笑った。
「はじめまして、新しい私たちの主。私は
慇懃に自己紹介した人物は――高町美由希。すずかとアリサの共通の知己である女性。
その彼女が右手に提げている金色のレイピアが、そのとき妖しく酷薄そうに輝いた。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。
《ブログについて》
魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
イヒダリ彰人の妄想をただひたすらに書きつらねていきます。
もちろん無断転載は厳禁。
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