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月荊紅蓮‐乱刃‐ 本編(4)

月荊紅蓮‐乱刃‐ 本編(4)です。



 周囲の風景は夕方。足元から伸びる影法師が、太陽の傾き具合に応じて長くなる時刻。
 両手に買い物袋を提げた高町美由希は、偶然通りがかった公園の前でふと足を止めた。翠屋のお菓子に使う材料の買出しを母に頼まれ、それをつつがなく終えたあとの帰り道だ。
 砂場があり、ブランコがあり、滑り台があり、ジャングルジムがある、いたって普通の児童遊園。そんなありふれた公園の一隅を、美由希は警戒の眼差しで見つめている。
 美由希の視線の先には、塗料の剥げかけたジャングルジムがあった。そのジャングルジムの頂上に、ひとりの少女が肩をそびやかして立っていたのだ。落下の危険を憂慮せずに。

「見て見て。これ、綺麗でしょう? 誕生日に、お父さんとお母さんに買ってもらったの」

 少女は左胸につけた金色のアクセサリーを、眼下にいるふたりの女友達に自慢していた。
 細身の長剣――西欧風のレイピアを象った、精緻な細工のピンブローチ。小学校三年生くらいの少女が身につける装飾具にしては、いささかマセた逸品と言えるだろう。
 その、夕陽を弾いて燦然と輝くピンブローチを見て、ふたりの女友達が歓声をあげる。

「うん! キラキラ光っててカッコイイ。まるで、お星さまみたい」
「変わったデザインだよね、それ。いったいどこのお店で買ったの?」

 羨ましそうに注目する友人たちに、ジャングルジムの頂上に立つ少女はますます得意になった。満悦そうに笑いながら腰に手を当てて、えっへんと胸を張る。微笑ましい仕草だ。
 だが、見守る美由希のほうは気が気ではない。少女がピンブローチを自慢してジャングルジムの頂上で騒ぐたびに、美由希の血中アドレナリンは臨戦状態にまで高騰してしまう。
 少女は、いま自分が足場にしてるジャングルジムの不安定さを理解していない。むろん、それを構成する立体格子は頑丈に作られている。三十キロ前後の少女がどれだけ暴れても、その磐石さは微塵も揺らがないだろう。むしろ美由希の危惧は他のところに理由がある。
 ジャングルジムの立体格子に使われている鉄パイプ。そのうえに少女が、なんの警戒心もなく無防備に仁王立ちしていることだ。あのまま少女を放っておけば、足を滑らせて地面に真っ逆さまという、目も当てられない惨事を招くだろう。それは断じて見過ごせない。
 美由希は意を決して公園に足を踏み入れると、ジャングルジムの方へと歩いていく。

「ねえ、君。そこで騒ぐと危ないよ。怪我するといけないから、早く下りてきて、ね?」

 両手に買い物袋を提げたまま、美由希は優しげな口調で注意を呼びかけた。
 するとピンブローチの少女が、疑わしそうな目を美由希に向けてきた。まるで胡乱なおじさんを見るような視線。いきなり知らない女性に声をかけられたのだ。当然の反応だろう。
 少女の反応に内心で苦笑しつつ、美由希は次にかける言葉を慎重に選ぶ。頭ごなしに説教をしても、逆に少女の自尊心を傷つけてしまうだけだ。しかも一期一会の他人の叱責など、普通は誰も聞き入れないだろう。仲の良い友人知人が見守る前なら、なおのことである。
 美由希がそんなことを熟考していたときだ。ピンブローチの少女が、露骨に憮然としながらもジャングルジムを下りはじめたのは。その思わぬなりゆきに、美由希は面食らう。
 今日日の子供にしては珍しい、ずいぶんと殊勝な態度である。両親の教育がとても行き届いているのか、はたまた少女自身の精神年齢が大人びているのか。はたしてどちらだろう。
 おそらく後者だ――と美由希が感心していると、やがて少女が危なげなく地面に着地した。

「……これでいいですか?」

 警戒する表情で訊いてきたピンブローチの少女に、美由希は苦笑をさらに深めて頷いた。

「うん。なんかごめんね、いきなり注意したりして。驚いたでしょう?」
「はい。でも、お姉さんの言うとおりだったから。今度は気をつけます」

 驚くほどしっかりした口調だったが、少女の目には不機嫌そうな色が滲んでいた。現に、美由希を見据える眼差しは「知らない人、早く帰れ」と訴えている。いくら大人びているとはいえ、まだ小学生程度の子供だ。そこまで徹底した慎みは望めまい。美由希は微笑んだ。

「ありがとう、素直に言うことを聞いてくれて。なんか嬉しかったよ。年齢が近かったら、わたしたち友達になれたかもしれないね。――それじゃ、気をつけて遊んでね」

『ありがとう』、『わたしたち友達になれたかもしれないね』、そんな言葉を年上の女の人にかけられるとは思わなかったのだろう。ピンブローチの少女は豆鉄砲を喰らった鳩の顔で佇んでいる。その表情に笑いそうになりながら、美由希は清々しい気持ちで踵を返した。
 ――異変は、美由希が公園のとば口にまで遡ったときに起こった。
 ふいに空気が変わったのだ。背筋を撫でる名状しがたい悪寒に、美由希の足は凍りついたように止まってしまう。大きな蝶リボンで飾りつけた三つ編みのうなじが逆立っていく。
 凝然と振り返った美由希の視界に、ピンブローチの少女の背中が映りこんだ。
 少女は、右手に金色(こんじき)の剣を提げていた。さっきまで少女がこれみよがしに自慢していた、レイピアを象った左胸のピンブローチを、まるで原寸大にしたような細身の長剣を。
 海鳴の空を彩る黄昏よりも鮮やかに輝くレイピア。それが眼前にそびえ立つジャングルジムを左斜め下から逆袈裟に、まるでバターのごとく寸断してのけたのは次の瞬間だった。
 斜めに二等分されたジャングルジムが地響きをたてて倒壊する。積み木のように容易く。
 なにか悪い冗談としか思えないその光景を、美由希は信じられない気持ちで見ていた。
 少女の放った斬撃は人間技ではありえないとか、ジャングルジムの鉄格子をレイピアなんかで切断できるわけがないとか、そもそもあのレイピアはいったいどこから取り出したのかとか、疑問に思ってしかるべき事柄のすべてが戦慄で残らず千切り飛ばされてしまう。
 まるで凶刃のうえを素足で歩いているような感触。幾度か経験した要人警護の仕事でも感じたことがない修羅の気配。少女の周囲には、凶々しい異質な世界が満ちている。
 ――魔性の臭いだった。
 切っ先を光らせるレイピアを右手に提げたまま、少女が呪われた人形のごとく振り向く。
 そのちょうど眼前には、腰を抜かして地面に座りこむ女の子がふたり。ピンブローチの少女――いまは不吉なレイピアを持つ少女――の友達。楽しく遊んでいたはずの子供たち。
 やおら、少女が漫然とレイピアを持ちあげた。絶望的な確信に、美由希の総身が粟立つ。

「……だめ、そんなこと、絶対にしちゃ……だめ!」

 理由などわからない。原因など知らない。それでも美由希は、気がつけば疾駆していた。
 そして両手に持った買い物袋を放棄した途端、美由希の視野が急速に灰色がかっていく。むろん外界に変化が起きたわけでも、美由希の視神経に障害が発生したわけでもない。ただの錯覚だ。一瞬で視野の中にある物体の数や種類を把握する瞬間視の加速化に、動き回る物体を目で追いかけて、対象の軌道や色や形の変化を認識する追従視が伴わないだけだ。
 御神流・奥義之歩法――『神速』
 外界の情報を判別する脳の働きを飛躍的に向上させることにより、あたかも静止した世界の中を移動しているように感じる、御神家に代々伝わる古流武術の秘奥(ひおう)のひとつである。
 また、四肢の動きを司る身体機能が、励起(れいき)した知覚力に追いつけないため『神速』を行使しているあいだは、まるで水中にいるかのように自分の動きを緩慢に感じてしまうのだ。
 その、極限の集中で永遠のように引き伸ばした刹那を、美由希は全力全開で駆け抜ける。
 死人のような少女の眼光。振り下ろされるレイピア。悲鳴をあげる女友達。それらすべてを別個に判じるほどの切迫の間。レイピアを握る少女の右手に、美由希は手を伸ばした。

「――間に合った」

 呟きと同時に、美由希の視界の色が、体にまといつく重圧が、正常に立ち戻っていく。
 はたして美由希の右手には、剣身を鈍く光らせる金色のレイピアが。さらに左手には、眠るように気を失ったピンブローチの少女が抱えられていた。むろん少女の友達も無事だ。
 ピンブローチの少女がレイピアを振り下ろすより一瞬前、神速を行使して一気に肉薄した美由希が、少女の手からレイピアを鹵獲(ろかく)することに成功したのである。まさに紙一重のタイミングだった。この場にいたのが美由希でなければ、少女の凶行は成立していただろう。
 活殺自在を旨とする御神流の面目躍如。心技のかぎりを尽くした極限の体術を、見事に駆ってのけたその瞬間――高町美由希の意識は強制的に断絶したのであった。


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イヒダリ彰人
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男性
趣味:
立ち読み、小説を書くこと
自己紹介:

イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。

《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん

《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。

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魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
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