イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐乱刃‐ 本編(2)
月荊紅蓮‐乱刃‐ 本編(2)です。
年齢は、すずかやアリサと同じ十三歳。時空管理局『本局』に設けられた無限書庫の司書であるユーノは、マリエルとはまた違った意味で倒錯的な魅力を持った少年だった。
襟足で結った長めの髪に柔和で利発そうな顔。細い体躯と、あきらかに髭とは無縁な色白できめ細かい肌も、まさに清純無垢な少女の雰囲気として素直に納得できてしまうほどだ。
それにいつ頃だったか、はやての悪戯にまんまと嵌められて、ユーノは一度、聖祥大学付属中学校の制服を着たことがあった。履きなれないスカートから伸びる素足を内股にし、顔から火が出そうなくらいに恥らっていたユーノの姿を、すずかは鮮明に覚えている。自分でも意外に思った嗜虐的な愉悦と、女としてはじめての敗北感を味わった戦慄の記憶を。
はたと思い出した屈辱に、すずかは項垂れてしまう。腰まで流れる漆黒の髪が頬にかかる――そのとき、気落ちしたすずかの差し向かいから、どことなく愉しそうな声が響く。
「待たせちゃってごめんね、ユーノくん。ちょっと大変だったから……アリサちゃんが」
少年のような童顔を屈託なくほころばせながら、マリエルが都合の悪い話を混ぜ返す。
その途端、すずかは切迫したものを感じた。生唾を飲みこみつつ隣を見やると、目に角を立てたアリサが鬼女の形相でマリエルを睨んでいた。すずかは慌てながら言葉を繋げる。
「そ、それよりもユーノくん、わたしたちに話ってなんなの? 世間話って雰囲気じゃなさそうだし……あ、もしかして『この本』について、なにか新しいことがわかったとか?」
すずかは目を白黒させつつ、椅子の脚に立てかけていた聖祥大学付属中学校指定鞄から一冊の本を取りだす。分厚く重厚な装丁の、刊行された時代がまるでわからない面妖な原書。さながら悪戯好きで浮世離れした魔術師が、好んで持ち歩いていそうな小道具である。
そしてこの怪しげな本こそ、すずか、アリサ、マリエルが抱える秘中の秘。ユーノはおろか、なのはたちにも秘密にしている『シルエットカード』が封印されていた魔導書だった。
ユーノには以前より、この魔導書の詳しい調査と解析を依頼していた。そのため、すずかは今回のユーノの話を魔導書がらみの案件だと類推したのである。もっとも、ユーノの善意と好意を利用しているような今の状況には、いささか以上に心苦しいものがあったが。
一方、すずかの良心の呵責など知らぬ存ぜぬの風情で、ユーノは気安くかぶりを振った。
「残念ながら違うよ。話しておきたいのは本のことじゃなく、緋炎についてなんだ」
「緋炎について? ……まさか、管理局で緋炎を預かりたいって話じゃないでしょうね?」
マリエルを睨んでいたアリサの表情から怒りが消え、代わりに警戒の色が浮かぶ。
もし緋炎を取りあげられるという事態になれば、アリサは魔法が遣えないただの中学生に逆戻りだ。当然、なにかしらの危険を伴うシルエットカード集めは頓挫せざるをえない。
せっかく手に入れた魔法の世界が、泡沫の夢と消えてしまう。まさに由々しき事態だ。
アリサは太腿に載せた緋炎を固く握りしめて身を強張らせた。徹底抗戦の構えである。
それに対し、ユーノは別段気負ったふうもなく、むしろ優しげな口調で言葉を続けた。
「ああ、ごめん。まぎらわしい言い方をしちゃったね。アリサの心配はとりあえず杞憂だよ。緋炎はきちんと封印処置されてるし、いまのところは危険がないってわかってるから」
「それじゃあ、べつに問題なんてないじゃない。なんか心配して損した気分だわ」
安堵の息を吐きつつ、アリサは脱力したように椅子にもたれた。硬い表情も一瞬で柔らかくなる。最前の緊張の度合いがありありと窺える、アリサらしからぬ油断しきった相好。
ユーノは口元を弛ませて苦笑いをすると、なにげない声色でアリサとすずかに問う。
「そこで君たち二人に聞きたいんだ。……緋炎を遣って魔法を行使したことはあるかい?」
アリサの端麗な顔がみるみる蒼白になり、すずかの明晰思考は混乱で真っ白になった。
まさかシルエットカードの存在がバレたのだろうか。それを内緒で回収していることに気づかれたのだろうか。すずかとアリサの脳裏を、そんな最悪の予感が塗りつぶしていく。
「……な、なんで? なんでそんなことを聞くの?」
彫像のように押し黙るアリサに代わり、すずかが
空間モニターに映るユーノの表情は依然として穏やかなままだ。その瞳にも、アリサとすずかを責めているような気配はない。彼女たちの
「ふたりは憶えてるかな? マリエルさんが緋炎を調べている最中に作った探知機。それを実験的に組みこんだ本局の管制が、ここ最近、海鳴市に頻出する奇妙な魔力反応を確認したんだ。ミットチルダ式ともベルカ式とも異なる、まったく別系統の魔力反応をね。もっとも反応自体はすごく微弱で危険はないみたいだから、本格的な調査は見送られてるらしいんだけど。でも僕は緋炎のことを知ってたから。それでふたりに、さっきの質問をしたんだ」
優しく諭すような声音でユーノが説明する。それを聞いて、すずかは
――なるほど。どうやらまだ、シルエットカードの存在には気づかれていないらしい。
すずかは、ひとまず安心した。が、すぐに思いなおして心を緊張させる。ここで下手な言い訳をすると、それが即
すずかは横目で右隣を見やり、落ち着きを取り戻したアリサと無言の目配せを交わす。
すずかとアリサが互いの意識を確かめ合うとき、もはや万言を尽くす必要はない。とくにシルエットカードに関する事柄なら、はじめから議論の余地もなく方針は決まっていた。
「ごめん、ユーノ。好奇心に負けて、何度か緋炎で魔法を行使したことがあるわ」
アリサが口火を切って謝罪した。それに続いて、すずかも血の滲むような思いで謝る。
「新しいオモチャを手に入れた子供みたいな気分だったのかも。遣ってるうちにどんどん楽しくなってきちゃって。でも、ちょっと節操なかったよね。そのせいでユーノくんや管理局の人たちに余計な心配をかけちゃったから。……ほんとうにごめんなさい」
アリサとすずかは頭をさげて詫びた。信頼すべき友人に、あさましい嘘をついて。
すずかは心が痛かった。まるで一言を発するごとに、胸に刃が突き刺さるかのように。
それでもシルエットカードのことは、シルエットカードのことだけは秘密にしたかった。
ただ漫然と時間を浪費するだけの日々を、なんの目標もない未来を、なのはたちとのあいだに感じるようになった隔意を、シルエットカードは変えてくれるかもしれないから。
もちろん、親友たちに隠し事をしているという事実と、それに対する後ろめたさは変わらない。すずかとアリサの面持ちが暗くなるのは、彼女たちの性格を考えれば当然だった。
「それを言うなら、わたしにも責任があります。なにせアリサちゃんとすずかちゃんが緋炎を遣ってるのを黙認してましたから。これはどうみても立派な職務怠慢ですよね」
すっかり陰に籠もってしまったアリサとすずか。そんな少女たちの鼓膜に、最近とみに仲良くなった女性の、かわいらしい声が届けられたのは、ちょうどそのときであった。
驚いて顔をあげたアリサとすずかに、声の主――マリエルは親しげなウインクを返す。
その快い笑顔が言葉より雄弁に告げていた。「わたしたち三人は一蓮托生でしょ?」と。
不謹慎なのは充分にわかっているが、それでもすずかは嬉しくて微笑んでしまう。こうしてマリエルと仲良くなれたのも、緋炎をめぐる一件とシルエットカードのおかげなのだ。
少女たちが結束を確かめ合っていると、ユーノがさも困ったふうに苦笑した。
「えっと、そんなに責任を感じなくていいから。べつに詰問してたわけじゃないし。ただ、例の魔力反応が既知なのか未知なのか、その事実を確認したかっただけなんだ。……でも」
言いさして、ユーノは少女のように整った容貌を、心持ち険しくしかめて言葉を重ねる。
「くれぐれも緋炎を遣って暴れるような真似だけはしないでほしい。地球は管理外世界だから、よほどのことがないかぎり本局から執務官や捜査官が派遣されることはないけど……でも緋炎は、その『よほどのこと』を引き起こす危険性がある遺失物には違いないから」
――本局から派遣される執務官と捜査官。
その言葉にある種の予感と畏怖を覚えつつ、すずかは緊張して震える声を絞りだす。
「参考までに訊いてみたいんだけど、その派遣されるかもしれない執務官と捜査官って?」
「フェイトと、はやてだろうね。海鳴市に居を構えてることを考えれば妥当な人選だし。それに海鳴市で起きた事件なら、ふたりとも自分たちの手で捜査したいだろうから。あと事件の規模によっては、フェイトが執務官権限を発動して武装隊に協力を要請するだろうから、もしかするとなのはも合流するかもしれない。管理局のトップエースが揃い踏みになるね」
その勇壮な光景を脳裏に思い描いているのだろう、ユーノはどこか楽しそうに語った。
そんな少年の上機嫌とは裏腹に、すずかの顔色は病的なほど真っ青になっていた。
そして隣のアリサも差し向かいのマリエルも、同じように血相を変えて黙りこんでいる。
無理もない。シルエットカードのことを秘密にしている彼女たちからみれば、それはおよそ考えうるかぎりで一番最悪の展開に他ならないのだ。優秀な魔導師として名を馳せる親友たちをはぐらかし、シルエットカードの存在を秘匿し続けるのは土台無理な相談だろう。
その事実が明るみになれば当然、なのはたちに「なぜシルエットカードのことを隠していたのか」と叱責されるのは明白だ。アリサとすずかは必死に弁明するだろう。が、それが親友たちに伝わるとは思えない。互いの主義主張がぶつかりあって、売り言葉に買い言葉になるのは目に見えている。確固たる信条が、誰の言葉も聞き入れない頑迷さに変わる悪例だ。
むろん、それで五人の友情が壊れるとは思えないが、なにかが決定的に豹変するのは間違いない。もう二度と、いまと同じ関係には戻れないだろう。そんなのは……嫌だった。
「……よくわかった。教えてくれてありがとう。もう緋炎をオモチャ変わりにしないわ」
静かに、低く押し殺したような声音で、アリサが宣言した。緋炎を握る両手に力が入る。
おそらくアリサは、いまこう思っているのだろう。緋炎の魔力を使役して、魔法少女の真似事をしていることは絶対に話せない。それはとりもなおさず、シルエットカード集めの挫折にも繋がり、かてて加えて共犯者であるマリエルの立場をも危うくするからだと。
真剣な表情へと変わったアリサを眺めながら、ユーノが満足そうに唇を弛めて頷いた。
「緋炎はアリサの持ち物だから、基本的にどう扱ってもアリサの自由だけど。……でも弁えてほしいんだ。ぼくたちも、友人をロストロギアの違法使用で逮捕したくないからね」
苦笑を混じえたユーノの警告は、本気とも冗談ともつかない。まるで自分で言った台詞の内容を、荒唐無稽な戯言としか捉えていないような口調である。とどのつまりユーノは、すずかたちの潔白を微塵も疑っていないのだ。さながら親鳥を妄信する雛鳥のごとくに。
すずかは悄然と溜息をついてしまう。ユーノの信用を裏切っているという罪の意識で、下腹部のあたりがキリキリ痛んできたのだ。鉄面皮を装うのも、そろそろ限界に近かった。
――とりあえず話題を変えよう。そう決定し、すずかが口を開きかけた、そのとき。
「そういえばユーノ、なのはとの関係はどうなのよ? もう付き合っているとか?」
アリサが出し抜けに水を向けた。どうやらアリサも、すずかと同じ心境だったらしい。
その質問に、ユーノはしばし呆気にとられ……ややあって不思議そうに首を傾げた。
「どんな関係もなにも、なのはとは普通に幼馴染みだよ。アリサだって知ってるでしょ?」
ユーノは顔色ひとつ変えずに言い放った。なんら含むところがない朗らかな表情で。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
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