イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐時遡‐ 第七話
連載中の中編SS『月荊紅蓮‐時遡‐』の第七話を更新しました。
第八話の更新は二週間後の日曜日(8月15日)を予定しています。
少し間が空くのは、執筆時間に余裕を持たせるために、書き貯めをしておきたいからです。
まことに勝手な話ですが、どうかご容赦くださいませ。
《余談》
愛内里菜さんが公式サイトで引退を報告。
けっこう好きな歌手だったので、記事を読んだときは驚きました。
最近はぜんぜん聴いてなかったのに、いざ引退と聞くと寂しくなるから現金だ。
ともあれ今年いっぱいまでは歌手活動をするとのこと。
最後までがんばってほしいです。
アリサは一瞬だけ物足りなそうな顔を見せたが、すぐに「べつに遊んでないわよ」と言いわけした。
それから四の字に絡ませた【
あらぬ嫌疑をかけられたのが不服らしく、淡い桜色の唇をかわいらしく尖らせていた。
「あんたもいつまで寝てるつもり? 手を貸してあげるから、さっさと起きなさいよ」
アリサが不承不承の
相手はのろのろと上半身を起こしたあと、差し出されたアリサの手をじっと見つめる。
「突き放したり優しくしたり。まるで飴と鞭だな。そんなに僕の気を惹きたいのかい?」
「この手はあと五秒でゲンコツに変わります。残り時間、五、四、三、二、一、ぜ――」
言い終わる寸前に【時】が慌ててアリサの手を取った。すかさず追従笑いを浮かべる。
「アリサ、君の無限の寛容と慈悲に僕は心を打たれたよ。感動した。これからは君の忠実な
「ただの迷惑だからやめてちょうだい。それよりもドサクサにまぎれて名前を呼び捨てにしないでよね」
「わかったワン! 任せるだワン!」
「……疲れる」
元気よく立ちあがった【時】とは裏腹に、アリサは三十歳くらい老けたように見えた。
その精も根も果てた姿に、すずかは同情を禁じえない。
心の中でひそかに親友の健闘を讃える。
さあ――
今度はわたしの出番だ。
すずかは胸の内に負けるものか、という闘志を燃やして口を開いた。
「いいかげん尋ねたことに答えて。どうして地球の時間を止めたりしたの? あと【
「ずいぶん気合が入ってるね。けどもう少し肩の力を抜いてもいいよ。心配しなくても今度はちゃんと説明するから」
すずかの挑みかかるような質問を受けて、【時】は満面に澄ました笑みをのぼらせる。
「そうだな……まずは【波】のカードに君たちを襲わせた理由について話すよ。
それはシルエットカードの新しい契約者である、すずかとアリサ、君たち二人の実力を見きわめたかったからだ。これから頼みたい仕事をこなせるかどうかを確かめるために、ね。だから【波】には、あらかじめ事情を話して試金石の役を演じてもらったんだ」
「これから頼みたい仕事?」
すずかの心臓が大きく拍動した。
不吉な予感。
例えるなら医師に深刻な病名を告げられる間際の患者の心境に近いかもしれない。
それも自分が重篤な病気であることを言われずとも確信している患者の気持ちだ。
すずかに真正面から対峙する【時】も、このときばかりは笑顔を押し鎮めていた。
真剣な表情で「そう」と相槌を打つ。
「ぜんぜん平気そうにしてるけど、実は僕も暴走している状態なんだ。ただ他の仲間たちとは違って性格が豹変したわけじゃない。暴走したのは僕の『時間を操る能力』の派生である【
考えられる原因はシルエットカードの封印が、正しい手順を踏まずに解除されたからだろう。自我に目覚めた【加速】と【停滞】が僕の制御から外れて分離してしまったんだ」
相手の口から淡々と語られた真相に、すずかは絶句するほどの衝撃を受ける。
だが――
その度合いは同種の存在であるトワとイノのほうが顕著だった。
ふたりの瞳が同時に大きく見開かれる。
「あなたを触媒にして新しいシルエットカードが生まれたって言うの? そんなこと――」
「絶対にありえないわ! 細胞の一部が魂を宿して別の個体に生まれ変わったなんて話」
「でも嘘じゃない。嘘だったらどんなによかったことか……」
口角泡を飛ばして反論するトワとイノに、【時】は諦めきった表情でかぶりを振った。
それから悲劇の舞台を語るような口調で、さらに気分が暗く落ちこむ事実を告解する。
「くわえて悪いことは続くものでね。僕の制御を離れた【加速】と【停滞】が、今度は過去の世界へ逃げてしまったんだ。事態の収拾を考えあぐねていた隙を見事につかれたよ」
「過去に、逃げた?」
すずかは自分の声が風邪を引いたときみたいに掠れているのを自覚した。
立て続けに聞かされた不条理を、どう捌けばいいのか結論できない。
世俗の常識を飽食して育まれた脳みそで理解するには、【時】の話は雲さながら掴みどころがなかったのである。
そんな彼女の混乱を瞬時に察したらしい。【時】が教育者めいた表情で鷹揚に頷いた。
「ここは過去と現在が複雑に交差する特異点だからね。まだ確定していない未来へ行くのは不可能だけど、すでに確定した過去へなら遡ることができるのさ。伊達に時間を司ってないよ」
「途中から自慢話みたいになってるけど……」
すずかは聞こえよがしに指摘してみたが、【時】は気にしたふうもなく会話を続ける。
「すずか、君は『タイムパラドックス』っていう概念を知っているかい?」
「たしかタイムトラベルに伴う矛盾や変化を表わす単語だったはず。SFに出てくる有名な設定のひとつだよね?」
幼いころから読書が好きでたくさんの物語に触れてきた彼女は、この手の超未来的な設定が登場するフィクションにも造詣が深い。ひらがなやカタカナのように学習していた。
その答えを聞いた【時】が満足そうに微笑んだ。
「そのとおり。未来の時間は過去の時間の積み重ねで精巧に作られている。でも【加速】と【停滞】が過去の出来事を変えてしまったら? その因果律に狂いが生じて未来は根底から瓦解するだろう。まるで積木みたいに……」
そこでいったん【時】は言葉を切った。続いて真面目な顔で、すずかたちを眺める。
「だから地球の時間を止めて、わざと僕の潜伏先を知らせて、君たちをこの場所に誘導した。過去の世界へ逃げた【加速】と【停滞】を僕の代わりに追いかけてもらうためにね」
ついに明かされた【時】の思惑。
その他力本願とも無責任とも取れる一方的で杜撰きわまる青写真……そもそもこちらが引き受けなければ成立しない博打めいた皮算用に、ようやく気力を回復させたアリサが真っ先に異を唱えた。
「ずいぶん虫がいい話じゃない。まず自分でなんとかしようとは思わなかったわけ? あんた、シルエットカードの中でも屈指の能力『時間操作』を持つ最強の存在なんでしょ」
「まあね。自他ともに認めているよ。……あいにく全能ってわけじゃないけどね」
小さく肩をすくめて苦笑する【時】の語調は、尊大な言葉とは対照的に自嘲の色を孕んでいた。
「たしかに僕は時間を止めることができる。でも残念ながら敵を追いつめる攻撃力は持っていない。そもそも【加速】と【停滞】は、僕の制御を離れた瞬間から、別個のシルエットカードになった。暴走状態のシルエットカードを封印する術がない僕は無力だ。唯一できるのが君たちを過去の時代へ送り届けることさ。あとは無事を神さまに祈ることかな」
そう言いながら【時】は、演技じみた大げさな動作で、両手を司祭のように組んだ。
「もっとも神さまに頼らなければならないほど、状況は悲観的じゃないし捨てたものでもない。
すずかとアリサの実力は【波】との戦いで申しぶんないってわかったし、そばには契約者を如才なくサポートできる【
もう病的と呼ぶしかない真性のナルシストである【時】は、自分を買いかぶることはあれど他人を買いかぶることはない。
ようするにこれは彼の率直な評価であり信頼の証でもあるのだ。
すずかは険しく歪んでいた表情をなごませる。
ただ単純に自分を信じてもらえて嬉しがっているわけではない。
つい先ほどまで自嘲気味だった【時】に、また笑顔が戻ったことに喜びを覚えたのだ。
「そういう事情なら、とくに文句はないよ。【加速】と【停滞】は必ず封印してみせる。それに事件の発端は、偶然だったとはいえシルエットカードの封印を解いちゃった、わたしにもあるから」
過去の失敗を反芻しつつ決意を述べると、【時】が「そうだったね」と茶々を入れた。
「すずかには了解の返事をもらった。じゃあアリサはどうだい? 引き受けてくれるかな?」
少し首をかたむけて訊いてきた【時】に、アリサは迷った素振りもなく即座に答える。
「すずかとは運命共同体。過去だろうが未来だろうが宇宙の果てだろうが一緒に行くわ。
それに私たちは、はじめてシルエットカードを封印した日の夜に、世界中に散らばった残りのカードも、ぜんぶ集めるって決めたのよ。なのにここで足踏みしていられますか」
はたと【時】が眩しそうに瞳をすがめた。その顔には嬉々とした笑みが刻まれている。
「そいつは頼もしい返事だ。せいぜい期待するよ」
そう言いながら【時】が、自然な動作で片手をあげる。
途端に彼の足元から紫の炎が噴きだした。
それは五人が立っている砂時計の天蓋の全領域を、まるで火走りのごとく縦横無尽に猛然と駆けめぐり……やがて同心円に月と太陽を閉じこめた見覚えのある紋様を描きだす。
すずかとアリサがシルエットカードの能力を使うときに顕現する円還魔法陣だった。
「今から君たちを過去の世界へ送る。帰りは【加速】と【停滞】を封印したら自動的に開始されるようにしておくから心配はいらない。ただ事前に注意しておきたいことがひとつだけある」
そのとき【時】のまなざしに真剣な色が滲む。すずかとアリサの顔を粛然と見つめた。
「すずか、アリサ。君たち二人は『未来』を知っている。ゆえに理不尽な現実を変えたくなる衝動を覚えるかもしれない。でもその誘惑に負けないでくれ。どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても、必ず戻ってくるんだ。戻らなければ、真実はそこから綻び、崩れてしまう」
熱のこもった口調で念を押した【時】が、肩を並べて佇むトワとイノに目を合わせる。
そして朗らかに笑った。
「次々に酷なことを押しつけてすまないね。申しわけないと思っているよ。とくに僕自身の事情に気づいていながら言及しないでくれていることには」
心中複雑そうな顔をしたイノが次の瞬間、喉の奥から苦々しい叱声をほとばしらせる。
「勘違いしないでよね。私が何も言わないのは優しさじゃなく、あんたの馬鹿さ加減に呆れてるからよ」
「私も同じ気持ちです。帰ってきたら身の程を教えてやります。それまでは必死に待っていてください」
続いて吐き捨てたトワの声にも痛みのような響きがあった。
どこにも行き場のない無念を下唇とともに噛みしめている。
すずかには争点がわからない胡乱な事情で、なぜか両者の
「非難囂々だな。けど僕と同じ立場に立たされたら、君たちも同じことをすると思うよ」
トワとイノが顔をしかめて黙りこんだ。
むろん【時】の言葉に納得したからではない。
彼はとても落ちついていたのである。
さながら水の中でゆっくりと朽ちていく古木を思わせる静かな風情。
これ以上なにを言っても無駄だと確信してしまうほどの揺るぎない意志を感じたのだ。
すずかは一連のやりとりに疑念を覚えた。すぐ問題点を尋ねようとする。
が、それよりも【時】が『時間操作』の能力を行使するほうが早かった。
「最後に。生まれてはじめて使う言葉で、君たちを見送らせてもらうよ。
――健闘を祈ってる。さあ、行ってこい!」
すると地面に描かれた円還魔法陣が目も開けていられないほどの光を発した。
色彩が漂白される。
刹那、すずかたちは天地も方角もわからない移動の直中に放りこまれていた。
小柄な【時】の姿が、巨大な砂時計が、蒼い空と海が、ものすごい速さで間遠になる。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
風も香りも感じない。
ただ白い風景だけが拡がる虚無の世界。
その自分たちの姿すら満足に確認できない圧倒的な光に、まるで存在自体が消されたような不安を覚えはじめたとき――
四人は過去の時代に到着した。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
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知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。
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