イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐時遡‐ 第五話
中編SS『月荊紅蓮‐時遡‐』の第五話を更新しました。
いよいよ『月村すずか』と『アリサ・バニングス』が魔法少女になって戦います。
戦闘描写が多く入っているので、今回の話は長めになっています。
無理せずに読んでください。
次回の更新は来週の日曜日(25日)を予定しています。
よろしくおねがいします。
「セットアップ――完了」
爆音とともに放射状に弾け飛び、雨のように落ちてくる水飛沫の中。
すずかは閃光を切り裂いて姿を現した。
黒髪が肩の高さで紐状のリボンに結ばれ、胸の前に垂れた二房のおさげになっている。
着ているものは学校の制服ではなく『バリアジャケット』と呼ばれる魔導師の衣装だった。術者の体を魔法攻撃や温度変化などから保護する『フィールド魔法』の一種である。
たおやかな四肢を覆っているのは、濃紺と
上半身は肩の部分が山なりに膨らんだ長袖のブラウスで、うなじから肩までを、黒色のラインに縁取られた四角形の白い布地が守っている。主にセーラー服などで用いられる形の襟だ。いまにも羽ばたきそうな茜色の蝶を思わせるリボンが胸元に留められていた。
下半身は三枚のフリルを重ねたミニスカートに包まれている。そこから健康的な脚線が伸びていた。紐状のリボンをあしらった白いハイソックスと黒のバンプスが足先を飾る。
右手には身の丈よりも巨大な十字架の形をした長剣を、左手には
「こっちもセットアップ完了よ」
続いて鞘から緋炎を引き抜いたアリサが、その抜き身の白刃で炎を薙ぎ払って現れる。
ショートボブの金髪は両端の一房が赤いリボンで結われていた。いわゆるサイドアップである。
そして彼女の伸びやかな体も学校の制服ではなく、すずかと同じくバリアジャケットに包装されていた。真冬の霜めいて白い肌を引き立てる、黒と灰の二色を基調にした戦装束だ。
上に着ているのは動きやすそうなノースリーブのブラウス。背中から踵まで流れる丈の長い黒布をベストのように重ねてまとっている。腰の高さで二条に割れたそれは燕尾というよりも甲冑の
剥きだしの両腕は二の腕から指の付け根までを黒い長手袋に覆われている。
腰から下はタータンチェックの赤いミニスカートに包まれていた。白い太ももの半ばからは黒のニーソックスで締まっている。靴はベルトで留めるタイプの紺のブーツだった。
「さて。いよいよ反撃開始といきますか!」
アリサが口の端を吊りあげて足を前に踏みだした。
虚空に舞い散る無数の火の粉が、彼女の体に切り裂かれて算を乱す。
まるで赤い光を発するホタルが今際のきわに群舞しているようだった。
ただの中学生から魔導師へと転身を果たした二人に、【
ふたたび咆哮の振動エネルギーを水面に波及させて津波を引き起こす。
その高さは最前の二倍に相当した。すずかとアリサを同等以上の敵と認めた証である。
すずかは曇りひとつない紫の瞳を眇めて、轟々と押し迫る水壁をまなざしで射貫いた。
自慢話にもならないだろうが、伊達に二度も流されてはいない。
もう津波に対する恐怖心は『慣れ』で克服していた。
それに今の自分は無力な中学生ではない。
相手と互角の能力を駆使して戦うことができる『魔法少女』だった。
「悠遠――カートリッジロード!」
すずかの叫びに呼応して悠遠のカートリッジシステムが目を覚ます。
剣十字のいちばん長い刀身の根元に組みこまれた、拳銃のシリンダーを彷彿とさせる装置が上下動した。
続いて空薬莢が虚空に勢いよく吐きだされる。
彼女は間髪入れずに次の行動を起こした。短剣型のデバイスの柄を握りしめた左手に、正しくは人差し指と中指のわずかな隙間に、手品師のごとく一枚のカードを現出させる。
すずかは手の中のカードを頭上に放り投げた。
そのあとすぐ右手に提げた悠遠を振りかぶる。
彼女の足元に紫色の光で描かれた複雑な紋様が浮かんだのは次の瞬間だった。
二重の
それはミッドチルダ式ともベルカ式とも異なるシルエットカード特有の魔法陣だった。
「お願い【
すずかは悠遠の刀身を垂直に振り下ろした。
くるくると旋回する【盾】のカードの表面に――正確に言えばその手前の虚空に――幹竹割りの要領でタイミングよく接触させる。
直後、そこから同心円状に拡がる光の波紋が生じた。
魔力の解放を促されたシルエットカードが眩く輝きはじめる。
六メートルを超える津波の到着と、すずかを中心とした半径五メートルの範囲に半球状の結界が張られたのは、ほぼ同時だった。
その障壁に進攻を阻まれた怒濤が左右に分かれて流れ去っていく。
宙に固定された【盾】のカードが、すずかの手元にふわりと戻ってきた。
まわりに展開していた結界が役目を終えて音もなく消失する。
すずかたち四人は無事に、津波の脅威をやりすごした。
しかし会心の一撃を防がれた【波】は、案に相違して毛筋ほども動揺していない。
それどころか次の攻撃の準備を着々と進めていた。
その大きな口がゆっくりと開かれて暗い奈落が顔を見せる。
まるで直撃するまで同じことを繰り返してやると言わんばかりの所作だった。
が、ここが正念場なのは、こちらも同じである。
このまま木偶になっているつもりは微塵もない。
「はじめに言っておくわ――」
はたとアリサが静かに呟いた。
続いて緋炎が澄んだ金属質の音を立てて鞘に納められる。
「私、やられっぱなしって嫌いなの。受けた借りは万倍にして返すから覚悟しなさい!」
そう昂然と言い放ったアリサが、前方の【波】をめがけて突進した。
「カートリッジロード!」
緋炎のカートリッジシステムは、その鞘の根元に組みこまれている。トリガーの付いた装置と鯉口が一体化しているのだ。それを手前に絞ることでカートリッジがロードされる仕組みだった。
雷鳴さながらの重低音とともに、空薬莢が虚空に向けて排出される。
アリサは顔の前で水平に構えた緋炎を鞘から抜き払う。
鋭利な白刃が魔力を炎に変換して
「手加減はしないわ。私たちにケンカを売ったことを後悔しなさい!」
倒すべき敵を睨みつけながら、アリサが獰猛な雄叫びをあげた。
それから緋炎の切っ先を袈裟懸けに振り下ろす。
燃える灼熱の衝撃が太刀筋の形に飛び、クジラの姿をした【波】に直進していく。
その進路上の水が瞬時に気化して、真一文字の蒸気が濛々と立ちのぼる。
まるで真空波のように飛来した炎の刃を、【波】は
激突した火と水が
入道雲めいた水蒸気が白い煙幕となって周囲一帯に拡がっていく。
熱を孕んだ突風に前髪をなびかせながら、アリサは美貌を苦々しく歪めて舌打ちする。
やはり火で水を突破するのは、相性の点から言って無謀だった。
むろん膨大な熱量で水を蒸発させることはできるだろう。
しかし同時に火も相殺されるため、【波】のところまで攻撃は届かない。
もっと強力な炎術を行使すれば打開できるかもしれないが……先ほどの一撃が文字どおり全力だったアリサには無理な話だ。
なにか次善の策を講じなければ
「だったら炎以外で攻めればいいだけよ。――【
なにか妙案を閃いたらしいアリサが急に足を止め、鞘を持っている左手に【樹】のカードを現出させた。それをすぐさま頭上に高々と放り投げる。
アリサはふたたび緋炎を鞘に納めてカートリッジをロードした。
間を置かずに引き抜いた緋炎の切っ先を、落下してきた【樹】のカードに叩きつける。
それと連動して足元に緋色の魔法陣が浮かびあがった。
ついで白刃と【樹】のカードに挟まれた空間を魔力の波紋が揺らす。
その直後。
魔力をほとばしらせた【樹】のカードが、数えきれないほどの
それに危機感を覚えたらしい【波】が即座に迎撃の構えをとった。
クジラにそっくりな口を大きく開けて振動エネルギーを波及させようとする。――が、
タッチの差で【樹】のカードから飛びだした蔦が相手に先んじた。
尾びれと胸びれに蔦がぐるぐると巻きつき、開きかけた口も閉じられて固定されてしまう。
その拘束を解こうとして【波】は暴れた。水面が激しく波打ち、周囲の大気が震える。
しかし全身を締めあげる無数の縛鎖は、見た目よりもはるかに柔靭で千切れない。
これで相手の動きは完全に封殺した。
決着をつけるなら今が千載一遇のチャンスである。
アリサは傲然と気炎を吐いた。
「今よ、すずか! このまま一気に押し切れ!」
もちろん言われるまでもない。
すずかはとっくに臨戦態勢だった。
彼女はアリサを後ろから跳びこえて、複雑に絡まった蔦の束に着地を決める。
そこは人ひとりが渡れるくらいの道幅を確保する橋になっていた。【波】のほうに近づくにつれて扇状に拡がっていたが、その分岐点に至るまでは全力で走っても大丈夫そうだ。
すずかは前方にいる【波】をめがけて突撃を敢行した。
彼我の距離を凄まじい速さで詰めていく。
そして限界まで近づくと大きく跳躍した。
魔力を推進剤に高く高く飛翔する。
二房のおさげを逆風になびかせながら、巨大な敵の二倍はあるだろう高みで静止。
カートリッジをリロードして必勝の魔力を悠遠に
「ただの水遊びにしては悪ふざけがすぎたね。これはおしおきだよ――【
すずかは【雷】のカードを行使した。
刹那、天を縫い下りた稲妻が剣十字の刀身に帯電する。
紫電に包まれた刃を逆手に構えて落下し、そのまま【波】の額に切っ先を突き入れた。
まさに落雷の一撃だった。
頭部に直撃を受けた
その総身を呪縛する蔦は直前に撤退したが、かわりに黄金の
いまこそ。
いまこそ待ち望んだ勝負のとき。
すずかはトドメの一撃とも言うべき呪文を大声で唱えた。
「シルエットカード封印ッ!」
デバイスを突き立てられた【波】が、いきなり目が眩むほどの輝きを発した。
まばゆい光芒が天に昇りながら渦を巻き、ほどなく一本の柱のように集束して消える。
すずかは羽毛のごとく軽やかに水面に降り立った。
存在感の権化のようだった【波】の巨体はどこにも見当たらない。
目の前にあるのは一枚のカードだけだ。
クジラの輪郭が描かれたそれには『WAVE』という銘が明記されている。
それは無事にシルエットカードを封印できた証拠だった。
あと問題なのは【波】の所有者が、すずかとアリサのどちらになるのか――
そのとき虚空に浮いていた【波】のカードが鳥のように飛び、ちょうど抜き身の緋炎を鞘に納めたアリサの掌の上に着地した。
アリサが意外そうに目をしばたたかせてカードを見下ろす。
概して封印されたシルエットカードは、おのれを屈伏させた相手の所有物になる。
だが【波】は起死回生のチャンスを作りだしたアリサにこそ畏敬の念を覚えたらしい。
クジラの姿が描写されたカードの表面には、『WAVE』の文字だけでなく『ARISA』の文字がしっかりと刻印されていた。
これは【波】のカードの所有者がアリサ・バニングスになった
たしかに彼女の助けがなければ【波】を倒すことはできなかっただろう。
そう考えると納得の人選だった。
すずかは屈託のない笑みを浮かべながら、新たなカードを手にしたアリサの隣に並ぶ。
「これで封印したシルエットカードは八枚目。いきなりで驚いたけど嬉しい収穫だね」
「降って湧いたようって慣用句は、こういうときに使う言葉かしら。運がよかったわね」
すずかの歓喜に釣られたらしく、アリサも頬を弛めてニッコリした。
が、すぐに笑顔をひっこめて疲れた様子でごちる。
「もっとも肝心の事件のほうは……解決の糸口すら見えてないけど」
すずかは返す言葉もなかった。
アリサの言うとおりだったのだ。事件は八方ふさがりのまま膠着している。
いくら他のシルエットカードを回収しても意味がない。すべての元凶である【
それに彼女たちの体力とて無限にあるわけではない。
こんなことが何度も続けば否応なく肉体的にも精神的にも追いつめられる。
いつか絶対に心が折れてしまうだろう。不安が募る。
すずかは前方にそびえる物言わぬ砂時計を仰ぎ見た。
「地球の時間を止めたり【波】をけしかけたり……あなたは何を考えてるの?」
すずかは呟きめいた口調で質問した。
だが返事は最初から期待していない。単なる独り言だ。
砂時計の外周に、光で形成された白い板状の足場が出現したのは、その直後のことだった。
それは砂時計の底から螺旋にまわりながら頂上まで展開していた。まさに階段である。
アリサが驚きに目を見開いた。戸惑った様子で身構える。
「まさか『あがってこい』って言ってるのかしら。このあからさまに怪しい螺旋階段を」
「そのまさかだと思いますよ」
猜疑心の塊と化したアリサに応じたのは、ようやく彼女たちに追いついたトワである。
魔力で整え直したらしい小学校の制服は、濡れる以前の完璧な装いを取り戻していた。
「しかし【時】は行動が読めない厄介な相手です。絶対と言える根拠がない以上、間違っても油断はできません」
「でも攻撃してくる気配はないみたい。ここは意を決して相手の誘いに乗ってみては?」
あくまで慎重なトワの意見のあとで、今度は彼女の隣に立つイノが助言した。
シルエットカードの化身たる二人の言葉に、アリサが困ったふうに眉をひそめて腕を組む。
「あいかわらず得体が知れないのは不安ね。でも――」
ふいにアリサが攻撃的な笑みを浮かべた。おもむろに掲げた右手を固く握りしめる。
「これは私たちに課せられた使命よ。高みの見物を決めこんで大ボスを気取る【時】に、正義の名の下に鉄拳を喰らわせてやれっていうね。だったら逃げるわけにはいかないわ」
はじめて耳にする妙な使命を宣言すると、アリサは肩をいからせて大股に歩きだした。
ずしんずしんという音が聞こえてきそうな足どりだ。水面にも連続して波紋が生じる。
見るからに殺る気は……いや、やる気は充分だった。
余計な力が入りすぎている気もするが、神経質に目くじらを立てるほどではない。
いつものアリサの、圧倒的な自信に満ちあふれる、頼もしい背中だった。
すずかは安心感を覚えて微笑する。
そして先を行く親友のあとに続いて螺旋階段をめざした。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。
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