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久遠の秘録 最終章『きっとまた、この青空の下で』

 久遠の秘録 最終章『きっとまた、この青空の下で』を更新。
 これにて久遠の秘録は幕を閉じます。
 序章から読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
 あとがきは明日にでも書こうと思います。
 ではでは、人と妖と魔術師たちの最後の物語を、存分にお楽しみください。
 


 久遠の騒動から一夜が明けた翌日の早朝。

「結局、昨日も泊めてもらっちゃいましたね。お言葉に甘えてばかりで申し訳ないです」
「そんなの気にしないで。それに昨日は、わたしたちが無理に拝み倒して引きとめたんだし。だから夏目くんが恐縮する必要なんてないよ。むしろ感謝するのは、わたしたちのほう」

 ばつが悪そうに白皙(はくせき)の面を伏せた夏目に、高町なのはが大人の謙虚な対応で礼を返す。
 荷物を持った夏目とニャンコ先生は、高町家の古風な門前に面した道路に立っていた。
 この二日間で仲良くなった親子――なのはとヴィヴィオの姿も、夏目の正面に見える。
 ちなみに他の面子は、お店の仕込みに忙しいらしく、見送りに出てこられないらしい。

「ほらヴィヴィオも。いつまでも落ちこんでないで、ちゃんとお別れしないとダメだよ」

 なのはの言葉は自身の腰あたりに投げられていた。彼女の上着の裾を握りしめる娘に。
 母親に背中を軽く押されて促されたヴィヴィオは、すぐ目の前が断崖絶壁であるかのようにつんのめる。すぐさま反発の視線を送ったが、なのはの微笑に迎え撃たれてしまう。
 しぶしぶ前に進んだヴィヴィオは明らかに浮かない表情だった。紅玉と翡翠のオッドアイは哀しげに伏せれており、固く結ばれた唇は溢れ出そうな不満を懸命に(こら)えている。
 夏目は辛抱強いが無感情ではない。その様子を見るや速攻でいたたまれなくなった。

「この二日間、なんか冒険みたいで楽しかったよ。ありがとう、ヴィヴィオ」
「……帰っちゃイヤだよ、夏目さん」

 昨夜から頑なに沈黙を守ってきたヴィヴィオの第一声。それは弱々しい泣訴であった。
 夏目は深々と嘆息する。ヴィヴィオの心が哀しみに閉ざされてしまった理由は明白だ。
 神咲薫の体術で昏倒させられたあとの顛末を夏目から聞いたからである。むろん現場にいたヴィヴィオに嘘を言えるはずもない。久遠が抱えていた憤怒と憎悪も教えてしまう。
 だから少女は苦しんでいるのだ。自身の苦難より他人の痛みに心を致してしまうから。
 とりわけ久遠に対してなにもできなかったことを悔やんでいるらしい。はじめて味わう挫折の苦さ。夏目との別れを拒絶しているのも、その情動を持て余しているからだろう。

「せっかくお友達になれたのに、お別れなんてしたくないよ。帰らないでよ、久遠みたいに。夏目さんもニャンコ先生もいなくならないで。もう逢えなくなるのはイヤだよッ!」
「ヴィヴィオ……あなたが辛いのはわかる。でもこれ以上わがままを言ったらダメだよ」

 なのはが困り顔でなだめた。彼女も共に話を聞いていたので久遠の事情は知っている。
 母親は「笑顔でお見送りしてあげようよ」と言い添えた。だがヴィヴィオは首を横に振るばかりで応じようとしない。手に負えなくなった娘に、なのはの表情まで曇っていく。
 夏目は子供が苦手である。他人に対して遠慮会釈を知らない、というのもあるが、こちらを見つめてくる瞳がまっすぐだから、つい似合いもしない虚勢を張ってしまうのだ。
 関わり合いになりたくない。遠目で眺めているだけでいい。……そう思っていたのに。

「じゃあ約束するよ。学校が夏休みになったら、また海鳴市に遊びに来るって」

 しかし人間は理屈ではなく心が先に動くらしい。いつのまにか夏目は膝を屈めていた。
 途端にヴィヴィオの泣き言が鎮まる。虹彩が異なる左右の瞳に夏目の笑顔が反射した。

「それ、ほんとう? この場を取りつくろうための、適当なウソじゃないよね?」
「もちろん。だから約束しよう。もし破ったら絶交してくれてもいいから」

 おそるおそる確認してきたヴィヴィオに、夏目は逡巡する間もなく即座に言い切った。
 それからヴィヴィオの頭を優しく撫でる。自分でも驚くほどに自然で淀みない動きだ。

「おれは自分の大切な人たちにも嘘をついてる卑怯者。でもこの約束だけは必ず守るよ」

 夏目は飾らない真情を言葉にした。重荷にならない契約を交わすのは生まれて初めて。
 ヴィヴィオは辛そうに唇を結んでいたが、ほどなく目尻に涙を浮かべながら念を押す。

「約束だよ。絶対に絶対に約束だからね。破ったらほんとうに絶交しちゃうからね!」
「わかった。肝に銘じておく。だから真夏の季節が来るまで、ちょっとのお別れだよ」

 そう言って夏目は立ちあがった。鼻の奥に感じるツンとした痛みは物悲しさだろうか。

「それじゃあ、ぼくたちは行きます。ツレに指定された電車の時間も迫っていますし」
「正直な気持ちを言えば、あと一泊くらいはしてほしかったんだけど。淋しくなるね」

 ボストンバックを肩に提げた夏目を見て、なのはが湿っぽい口調で別れを惜しむ。
 夏目は後ろ髪を引かれる思いだったが、それでも明るい表情を保ちつつ話を続ける。

「ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分です。――行こうか、ニャンコ先生」
「やれやれ、やっと終わったか。このまま死ぬまで待たされると思って冷や冷やしたぞ」

 無沙汰(ぶさた)の時間に辟易していたらしい。開口一番、ニャンコ先生が皮肉を炸裂させた。

「たかが別れの挨拶に時間をかけすぎだ。おまえたち人間は、つくづく効率が悪いな」
「人間は礼儀を重んじる生き物なんだよ。適当なやりとりだけで万事を済ませられるか」

 打てば響く速やかさで反論した夏目は、その応酬を見て忍び笑いを堪えているなのはと、半泣きながらも懸命に笑って見送ろうとするヴィヴィオに、あらためて頭を下げた。
 そして夏目は足を繰りだす。ニャンコ先生を連れて海鳴駅へと向かう。――そのとき。

「……夏目くん! ちょっと、ちょっと待って!」

 呼ばれて夏目は振り返る。見えたのは軽快に走り寄ってくるエプロン姿の高町美由希。

「どうしてここに美由希さんが? お店は? 抜け出してきて平気なんですか?」
「だいじょうぶだよ。これはそのお店から頼まれた正式な『お遣い』だから」

 思わぬ人物の登場にビックリする夏目に、美由希は右手に持っていた紙袋を差しだす。

「はいこれ。喫茶『翠屋』自慢の洋菓子の詰め合わせ。お土産に持っていって」

 美由希は息切れどころか汗ひとつかいていなかった。商店街に店を構える翠屋から快足を飛ばしてきたにもかかわらず。その尋常ではない体力に夏目は二重に驚嘆してしまう。

「わざわざこれを届けに……あ、もしかして朝早くからお店に出かけていった理由は」
「ご明察。夏目くんの里親――藤原さん夫妻だっけ? と一緒に食べてね」

 夏目は感謝の気持ちでいっぱいになった。差しだされた紙袋を恭しく受け取る。

「ありがとうございます。士郎さんと桃子さんにも、感謝している、とお伝えください」
「了解。バッチリ伝えておくよ。感激のあまり、みんなの前で泣いてたよ、みたいにね」

 いたずらっぽく片目をつぶってみせる美由希。その茶目っ気たっぷりの仕草に、夏目はぎこちない笑顔で応じる。美由希の冗談を現実のものにしないよう堰を止めていたのだ。

「最初から最後まで、本当にお世話になりました。夏休みになったら、また来ます」

 再会を約束すると、夏目は踵を返して歩きはじめた。ニャンコ先生が無言のまま従う。
 徐々に小さくなっていく少年と招き猫の後ろ姿に、ヴィヴィオは泣き笑いの表情で「夏目さん、ニャンコ先生、さようならー」と叫びながら手を振っていた。夏目とニャンコ先生の姿が、最初の角を曲がって見えなくなるまで、ずっとずっと手を振り続けていた……

「人間というやつは、とかく別れには感傷的になるな。べつに今生(こんじょう)でもあるまいに」

 ニャンコ先生がやぶからぼうに呟いた。ヴィヴィオたちと別れて五分後のことである。
 夏目は足元に視線を向けた。呆れた、と言いたそうなニャンコ先生にしんみりと呟く。

「ひとつの出逢いも、ひとつの別れも、かけがえのない大切な思い出なんだ」

 だから噛みしめるのだ。いつかそれらが宝石よりも輝く宝物になると知っているから。

「四の五の言いつつニャンコ先生だって、少しは胸に響く部分があったりするんだろ?」
「アホウめ。世に聞こえる大妖怪たるこの私が、矮小な人間との別れなど惜しむものか」

 ニャンコ先生は気分を害してしまったようだ。ふてたようにそっぽを向いてしまう。もっとも、ニャンコ先生の顔はブサイクすぎて、表情の微細な変化などわからなかったが。
 夏目はひそかに苦笑する。ニャンコ先生のつむじまがりの性格がなんだかおかしくて。

「そうなんだ。でもね先生。おれも最近までは、同じように考えてたんだけどな……」

 二つ目の辻にさしかかったときである。夏目の両足が歩き方を忘れたように静止した。
 三十メートルほど離れた向かいの道路に、奇妙な取り合わせの一組を見いだしたのだ。

「ニャンコ先生……あれを見てくれ」
「なんだ? いまの私はすこぶる機嫌が悪い。くだらんことだったら怒るからな」

 鼻息も荒く言い捨てたニャンコ先生が、夏目がまじまじと見ているものを注視する。
 途端に、招き猫の片目がぴくりと跳ねた。さも呆れたと言わんばかりの嘆声がもれる。

「昨日の今日だというのに、もう結論を出すとはな。あの子狐、ちゃんと考えたのか?」
「きっと一晩中考えたさ。たくさん悩んで、それ以上に不安で、震えるほど怖くて。でも自分の意思で決めたんだ。新しい生き方を。もう一度、人間を好きになってみようって」

 彼らの視線の先には、竹刀袋を肩に提げた神咲薫と、その足元に鎮座する久遠がいた。
 薫は真冬の夜のごとき醒めたまなざしで、夏目とニャンコ先生を静かに睥睨していたが、やがて極端に小さな動作で会釈を寄こしてきた。廉潔(れんけつ)な彼女の性格を偲ばせる一礼だ。
 夏目はあたふたと礼をかえす。薫には嫌われていると思っていたので不意打ちだった。
 それを見届けた薫は無言のまま背を向けて歩きだす。――その場に久遠を残したまま。
 久遠は動かなかった。ただ黒真珠さながらの瞳が、まっすぐに夏目を見据えるばかり。
 夏目は静粛な気持ちで、久遠の凝視を受け止める。それから目だけで問いかけてみた。

 ――ねえ久遠。
 君は、この世界をどんなふうに見ているだろうか。どんなふうに感じているだろうか。
 吹く風は穏やかで、羽ばたく鳥は楽しそうで、空はかぎりなく澄んでいる。そんなふうに捉えているだろうか。もしそうなら嬉しいと思う。君と僕は同じ風景を見ているから。

 ややあって久遠がくるりと背を向けた。尻尾を揺らしながら薫のあとを追いかける。
 夏目は自然な動きでニャンコ先生を抱きあげた。その両腕にぎゅっと力がこめられる。

「なあ、ニャンコ先生。久遠は海鳴市から離れても大丈夫なのか?」
「問題なかろう。そもそも久遠を地脈に縛りつけていたのは、あれを封印していた強力な術と人間に対する憎悪から生じた自縛だ。しかしそれは昨日の騒動で完全に破戒(はかい)された。……久遠は不羈(ふき)になったんだ。目指したい場所があるなら、自分の足で歩いていけるさ」

 めずらしく率直に告げるニャンコ先生。夏目は憂いのない晴朗な笑顔で頷いてみせた。

「そうか。そうだな……きっとそうだな」

 久遠が走り去っていく。淀みない足取りでアスファルトの路面を踏み、なにか良いことが待っているに違いないと信じて明日(あした)へ向かう。波打つ黄色の毛並みは陽光の照り返しを受けていっそう輝き、子狐は期待と不安に胸をときめかせながらまっすぐに進んでいく。
 夏目は、その背中を笑顔のまま見送る。笑顔のまま見送りながら心の奥底で強く(こいねが)う。

 君のこれからの未来に、数多くの幸が訪れますように。
 がんばれ……
 がんばれ、久遠。
 春と夏の狭間に出逢えた、僕らの小さな友人。


 後の頁 / あとがき

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イヒダリ彰人
性別:
男性
趣味:
立ち読み、小説を書くこと
自己紹介:

イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。

《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん

《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。

《ブログについて》
魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
イヒダリ彰人の妄想をただひたすらに書きつらねていきます。
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