イヒダリの魔導書
久遠の秘録 第三章『憎悪と怨嗟の果てにあるもの』(3)
久遠の秘録 第三章『憎悪と怨嗟の果てにあるもの』(3)を更新。
これで第三章は幕を閉じます。
あとは土曜日に幕間、そして日曜日に最終章の更新を残すのみです。
がんばって更新するので、どうぞ最後までお付き合いをおねがいします。(ぺこり)
フジテレビ系ドラマ「救命病棟24時」の第四期が終わりましたね。
あのドラマは現実感があってシリアスだけど、ストーリーには感動的な演出が凝らされており、イヒダリは大好物でした。最終回も楽しく観させていただきました。
そしてなんでも冬にスペシャルドラマの放送が決まったそうで。
う~ん、主演の江口洋介さんの活躍に、ますます期待ですな。
今度は事故んなよ~。(笑)
「ニャンコ先生ッ!」
かっと瞳を見開いて咆哮した夏目に、ニャンコ先生が聞こえよがしに舌打ちする。
「ちっ。おまえはまた面倒なことを勝手に決めて――」
そのみょうちきりんな招き猫の体から膨大な妖力が溢れだしたのは次の瞬間だった。
これがニャンコ先生の本来の姿。圧倒的な妖力を持つ古の大妖怪――
「私の助勢は安くないぞ、夏目。事がすんだら美味いものをたくさん奢れよ」
気安いが恩着せがましく言い添えた斑は、犬の伏せような体勢で夏目の横に並んだ。
夏目は引き結んだ唇をほころばせた。大きくて凶暴そうな斑の鼻の頭を優しく撫でる。
「わかった。協力してくれてありがとう、先生。――ふたりで久遠を助けよう」
夏目はショルダーバックの中から友人帳を取りだす。妖たちの大事な名前が記載された契約書の束。それを右腕に抱きかかえた夏目は、斑の広い背中に慣れた動きでまたがる。
なにも持っていない左手は斑の毛並みを撫でていた。綿毛のようなふわふわした感触。
斑の鋭い両眼が心地よさそうに細められた。瞬きすると厳しい目つきに戻っていたが。
「よし――いくぞ夏目。振り落とされないように、しっかりと掴まってろよ」
言うがはやいか斑の巨躯が中空へと躍りあがる。猛禽を連想させる雄々しい飛翔。
上級妖怪ならではの強力な妖術により、斑は空を自在に翔けることができるのだ。
すごい風圧だった。夏目は吹き飛ばされないよう、斑の背中に無我夢中でしがみつく。
「ニャンコ先生、できるだけ久遠に近づいてくれ。あと怪我とかは絶対にさせないで」
「いつもより注文が多いな。まあ善処はしてみるが……むっ、来るぞ!」
切迫したニャンコ先生の声に知らされて、夏目は突風に耐えながら前方を睨み据える。
夏目とニャンコ先生の行く手を遮ったのは、原始林のごとく鬱蒼と立ち並んだ光の柱。
人語にならない金切り声をあげた久遠が、幾百幾千の雷を地上に降らせはじめたのだ。
にもかかわらず斑は動じない。むしろ、上等だ、と言わんばかりに口元を吊りあげた。
雷鳴、暴風、衝撃。局地的なハリケーンとも言える久遠の妖術を、斑は大蛇のうねりめいた軌道ですり抜ける。その背中にしがみつく夏目は、恐怖を噛み殺して懸命に叫んだ。
「久遠、しっかりしろ! 思い出すんだ。おれとニャンコ先生とヴィヴィオのことを!」
むろん雷鳴に掻き消されて夏目の声は届かない。かわりに久遠の双眸が憤怒に燃える。
「おのれ、ニンゲンめ。ゆるさん、ゆるさんぞ。よくも……よくもワタシのッ!」
途端に激しくなる雷撃の雨。耳を聾し内臓を鷲掴みにする轟音が大気を震撼させる。
体を掠めはじめた落雷が、斑の皮膚と白い毛を焦がす。血の焼ける嫌な臭いが漂う。
「おい夏目! 早く友人帳を開け。そろそろ対応しきれなくなってきた」
「わかってる。でも……くそっ! せめて一秒でいいから久遠が静かになってくれれば」
目を細めた斑が余裕のない声で急かすが、夏目のほうがもっと余裕のない口調だった。
斑は雷撃をかわすために激しく動きまわっている。ちょっとでも気を抜けば振り落とされそうなほどに。だから夏目は、斑の背中にしがみついているだけで手一杯だったのだ。
狂ったように走りまわる
夏目は悔しかった。久遠を助けると息巻いたのに、なにもできない無力な自分が。
おのれの情けなさに幻滅していた夏目が、凝然と瞳を見開いたのは次の瞬間であった。
――久遠が泣いていたのだ。その両眼は鬼気を孕んで乾いていたが、昏い怒りを燃やし続けていたが、それでも彼女は泣いていたのである。切れ長の双眸から血の涙を流して。
夏目は気づいた。誰かを憎み続けることは、誰かに怒りを抱き続けることは、こんなにも辛いことなのだと。おもわず泣いてしまうほどに、その涙に凄絶な赤が混じるほどに。
続いて夏目は理解した。自分は無力だったのではない。ただ覚悟が足りなかったのだと。
夏目は上体を起こしにかかった。荒波のような振動に翻弄されながらも膝立ちになる。
彼は左手だけで激しく揺れる体を支えつつ、右手の友人帳を胸の前で構えてみせた。
――終わらせる。いまここで。久遠を呪縛するものを解き放つ。
「我を護りし者よ、その名を示せ――」
表紙を開いた友人帳のページがひとりでに捲られる。風もないのにパラパラと。まるで和紙の一枚一枚に自律した意思が宿っているかのように凄まじい勢いでページがなびく。
友人帳に記載された妖たちの名前。それを返すためには、いくつか手順が必要である。
ひとつは名を返還したい妖の姿をイメージすること。想像ではなく正真正銘の実像を。
もうひとつは夏目レイコの唾液と息。ただし血縁者である夏目は例外的に許諾される。
最後はイメージした妖の名前が書かれた紙を咥え、強く手を打ち合わせ、精神を集中。
「久遠、君に名を返そう。短かったけど楽しい時間を共有した、心優しい友人の名前を」
そして息を吐く――
その瞬間、和紙から飛びだしたのは黒い
名前という言霊が久遠の額にするすると吸いこまれていく。その無限のような一刹那。
夏目の脳裏に映像が流れる。
見知らぬ風景、古めかしい格好をした人々……それは久遠の秘められた記憶だった。
傷を負い、獣道で倒れていた少女を助けたのは、日焼けした肌が健康そうな少年。
――ぼくの名前は
弥太と名乗った少年は、変身の術で人になりすましていた少女に、そう訊ねてきた。
優しい笑顔だった。どんな人でも彼のことを一目で好きになってしまいそうなほどの。
少女は束の間、痛みを忘れた。とにかく弥太の質問に答えたいと思った。――しかし、
少女には名前がなかった。そのことを伝えようにも人の言葉は難しく上手に喋れない。
それでも苦労して、名前ないの、とだけ発音する。知恵遅れみたいで恥ずかしかった。
弥太は不思議そうに目をしばたたいていたが、ほどなく妙案を閃いたように微笑んだ。
――だったら、ぼくが付けてあげるよ。素敵な君にぴったりの名前を。
彼は、細い体からは想像もできない男の力を発揮した。久遠を軽々と抱きあげたのだ。
久遠は混乱して目玉をくるめかせる。異性と接触するのはこれが初めての体験だった。
腕の中で身をすくませた久遠に、弥太は慈愛のまなざしを向ける。そしてこう告げた。
――今日から君は久遠だ。漢語で永遠って意味だよ。気に入ってもらえると嬉しいな。
それは少女にとって新しい扉が開いたような出来事だった。
嬉しくて、楽しくて、幸せで、
悲しくて、切なくて、苦しい……連綿と続く悲劇の序幕。
「まどろみの中で見る夢のような日々。きっと幸せと言ってもいい穏やかな時間だった」
はるか水底のごとき静寂に波紋を拡げたのは、哀しく懐かしい口調で呟いた女の声。
「でも夢は夢。すべからく覚めるものだと知ったよ。……弥太は死んだ。人柱にされて」
「久遠、どうやら正気に戻ったみたいだな。よかった」
久遠に名前を返還して正気を取り戻させる。いちかばちかの胸算用が図に当たって一安心する夏目。いまにも大気に溶けてしまいそうな久遠の淋しげな様子は気になったが。
やがて陽炎じみて虚ろだった久遠の焦点が、斑の背中から降りた夏目の顔に結ばれる。
「夏目、おまえはレイコの縁者だったんだね。友人帳の力を使って私を従わせれば、そんなボロボロにならなくてもよかったのに。おまえはレイコと違ってお人好しだね」
「無理に従わせるのはイヤだったんだ。それに契約したのはレイコさんとなんだろうし」
妖は人間の道具ではない。確固たる意思を備えた生き物だ。その意思を強制的に捻じ曲げる友人帳の力を、夏目は可能なかぎり使いたくないと考えていた。できるならずっと。
そんな夏目の気持ちを見透かしたらしい。久遠の顔に納得ずくの情動が浮かんだ。
「なるほど。生意気そうな顔はレイコそっくりだが、性格は似ても似つかないようだね。とにかくレイコは、封印された影響で弱ってた私に、勝負という名目のイジメを敢行し、嬉々として友人帳に名前を書かせた悪魔だからね。あんなひどい女とは初めて会ったよ」
「レイコさん……あんた最低だよ」
夏目は祖母の鬼畜ぶりをあらためて思い知る。そのせいで彼の頬はげっそりと痩せた。
久遠は声をたてずに肩だけ震わせて笑う。細い眉のあたりに翳を帯びてはいたけれど。
「おまえたちには、ほんとうに迷惑をかけた。……とくにヴィヴィオには」
久遠は鳥居に目を向ける。そこには糸の切れた操り人形よろしく眠り続ける少女が、鳥居の柱を背もたれにして地面に座らされていた。久遠の双眸が慙愧と失望に
「こんなことに巻きこむつもりはなかった。にもかかわらず私という存在は、いつも誰かを傷つけてしまう。私に関わったせいで不幸になってしまう。ヴィヴィオも、弥太も」
そう言ってから久遠は空を仰いだ。彼女は身につまされるほどに悲しい顔をしていた。
「異形とは
久遠は虚ろな声で呟いた。かすかに吊りあがった口元に漂うのは痛々しい自嘲の笑み。
「だが、それも今日で終わる。いや終わらせる。――神咲の当代、おまえに頼みがある」
「そっちから話しかけてくるとは思わなかったな。まさか見逃してくれと言うつもりか」
颯爽と肩をそびやかして歩いてきた薫が、夏目の横で抜き身の霊剣を油断なく構える。
あくまで用心を怠らない薫の一挙一動に、久遠は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「私の頼みは、むしろその逆だよ。おまえの霊剣で、私を斬ってほしいんだ」
無表情だった薫の眉がぴくりと跳ねる。同時に動揺をあらわにした夏目が息を呑んだ。
「斬ってくれ、だって? なにを言ってるんだ久遠! そんなことをしたら君はっ!」
「それが私の望みだよ、夏目。私は生きていてはいけない。それがようやくわかった」
久遠の口調は諦念めいていた。いきどおりに声を荒げた夏目の心さえ重くするほどに。
ふいに夏目は空気の揺らめきを感じた。薫が無言のまま足を一歩踏みだしたのである。
「それは是非もない。もとよりうちは、おまえを滅ぼすために、ここにいるのだから」
「待ってくれ神咲さん! 久遠は自棄になってるだけで本当は――」
「しかし」
必死にまくしたてる夏目の言葉尻を、澄まし顔の薫が紡いだ接続詞が淡々とさえぎる。
やきもきする夏目など意中にない風情で、薫は十六夜の刀身を陽に透かしてみせた。
「妖の頼みに耳を貸すつもりは毛頭ない。なにより十六夜の清冽な刃を
冷めた声で無慈悲に一蹴されて、久遠の表情が絶望の色に染まる。両膝が震えていた。
薫は誰とも目を合わせようとしない。ただベルトに挟んだ鞘を取りながら言葉を繋ぐ。
「どうしても死にたいなら勝手にしろ。だが仮に、ほんの少しでも生に執着する意思があるのなら、業腹だが鹿児島にある神咲の本家に
薫は、切っ先を鯉口に合わせて刀身を立てると、鞘を滑り落とすようにして納めた。
久遠は呆気にとられた顔で立ちつくしている。夏目も自分の耳と正気を疑ってしまう。
死神ばりに冷酷だと思っていた神咲薫が、久遠のために贖罪の道を示してくれたのだ。
夏目は薄く微笑する。もしかすると思っていたよりも冷たい人ではないかもしれない。
「久遠、君は自分のせいで大切な人が不幸になったって言うけど、それは間違いだよ。おれは君に逢えてよかった。久遠がいてくれたから、おれはヴィヴィオと友達になれた。高町家の人たちと知り合いになれたし、みんなと一緒に食べたバーベキューもおいしかったんだ。だからおれは、君に『ありがとう』って言うよ。楽しい思い出をありがとうって」
夏目の言葉を聞いた途端であった。久遠の
膝からくずおれて参道にへたりこんだ久遠が、はらはらと大粒の涙をこぼしたのだ。
久遠は泣いた。
まるで生まれたばかりの赤ん坊のように、誰の目も憚らずに泣いて泣いて泣いて……
「礼を言うのは私のほうだよ、夏目。おまえのおかげで涙と一緒にいろんなものが流れた。……それと斑、おまえは素敵な人間に廻り逢えたね。正直、ちょっと羨ましいよ」
「とりあえず言っておこう。こいつは私の獲物だ。どんなに羨んでもくれてはやらんぞ」
巨大な鼬めいた本来の姿から、依り代の招き猫の姿に戻ったニャンコ先生が主張した。
すると両目を真っ赤に腫らした久遠が、巫女装束の白い袖で涙を拭きながら呟く。
「ずいぶんと屈折した物言いだな。これだから妖は儘ならないんだ」
久遠の表情はこんなに柔らかかっただろうか、と夏目は思った。やっと見せてくれた微笑のせいかもしれない。――と、急に神妙な顔つきになった久遠が、視線を薫に向けた。
「せっかくの申し出だが、返事は待ってくれないか。まだ私自身の気持ちに整理がついていないんだ。弥太を殺した人間に対する憎悪と、弥太を守れなかった自分への嫌悪に」
「構わない。が、できるだけ早く結論を出してくれ。妖とは違い、人の寿命は短いんだ」
薫が冗談と皮肉を混ぜた口調で念を押す。久遠は表情に哀愁を漂わせながら頷いた。
「知ってるよ。よく……知っている。消えない烙印のように胸に刻まれているから、ね」
しんと呟かれた久遠の台詞が、夏目たちのあいだで
――かくして。久遠をめぐる一連の騒動は幕を閉じたのであった。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
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目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
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知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
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