イヒダリの魔導書
正邪(せいじゃ)を超えて
ギン姉が主役、そしてゲンヤが渋く活躍するSSです。
十代、二十代の若僧に人生を語らせるより、
渋い伯父さまに語らせた方が味がでますよね? たぶんきっと。
粛々と、ただ粛々と、葬儀は滞りなく終わりを告げた。
空は抜けるような蒼が拡がっているが、ギンガ・ナカジマの心中は曇り模様だった。
ギンガの沈鬱な眼差しは、およそ十歩ほど先にみえる棺に向けられている。
すっかり顔なじみになった機動六課の面々、顔と名前が一致しないミッドチルダ地上本部の局員たち、そして特別に参列が許された更正組のナンバーズたち。
そんな彼女らに弔われ、恭しく散華され、祈りの言葉とともに大地へと埋葬されていく重厚な棺に。
――ゼスト・グランガイツ。
それが棺の中に眠る人物の名前。憎んでも呪ってもまだ足りぬ怨讐の相手だった。
「……なんのわだかまりもなく、見送れるわけがない。だってあの人は」
ぽつりと呟く。快活で凛々しいギンガのものとは思えない、底冷えするような口調。
ギンガは、棺に暗く澱んだ視線を注ぎながら、まるで呪詛めいた言葉を吐き捨てる。
「だってあの人は――お母さんを死なせた張本人なのにッ」
むろん、心から敬愛する母――クイント・ナカジマを殺したのはゼストではない。軌道拘置所に収容されているスカリエッティだ。ギンガとて、そんなことは承知している。
それでも胸中に重々しくわだかまる情念は、ゼストを憎むべき仇として見てしまう。
むしろ当時の事件――クイントとゼストが殉職する原因になった戦闘機人事件――の概要を知れば知るほど、ギンガの抱える憎悪と憤怒は肥大化していくばかりだった。
突き詰めて考えれば、豹変したレジアスの采配に疑念を抱いたゼストの、手前勝手な反発心と独断専行に巻きこまれたせいで、その日に母は死んだのだ。理想だかなんだか知らないが、そのときゼストが自制していれば、母は今でも生きていたかもしれないのに。
かてて加えて、その悲劇から八年後。スカリエッティの手で人体改造を施され奇しくも蘇ったゼストのしたことは、親友であるレジアスの理想と信念の是非を確認することのみ。
ギンガにも、スバルにも、そしてゲンヤにさえも、ただひとつの詫び言すらなかった。
そんな人非人に哀悼の意を捧げるなど、どう取り繕ってもギンガには無理だった。
ここにいても憎しみが募るだけだ。そう断定し、踵を返そうとするギンガ。しかし、
「――うん? どうしたんだ、ギンガ? こんなところに独りでポツンと佇んでよ」
ギンガの細い肩にそのとき、いかつい手がのせられた。ギンガは肩越しに振りかえる。
「……お父さんこそ、ゼストさんを弔わなくていいの?」
「もう充分すぎるほど弔ったさ。いまはそれよりも、元気のない娘のほうが心配だ」
おどけたふうに言いながら、ゲンヤ・ナカジマが気安く微笑みかけてきた。
いまだ衰えをしらない
相談しようか、しまいか。その逡巡は長くなかった。どのみち、なにかを察している感のあるゲンヤに沈黙は通用しない。それにギンガ自身、父に胸の内を聞いてほしかった。
「……私、自分がこんなに嫌な人間だなんて知らなかったんだ」
ゲンヤは、なにも言わない。ギンガは視線を棺の方に戻すと、苦い口調で先を続けた。
「お父さん、私には無理だよ。あの人たちみたいに、ゼストさんの死を悼むことなんて、私にはできない。……だってゼストさんのせいで、お母さんは死んじゃったんだよ」
ギンガの視界には、小さい体を震わせて泣き喚くアギトと、その彼女をなだめつつも哀しみに耽るシグナムがいた。ゼストに、なにかしら思い入れがあるらしい二人の姿が。
葬送の席で、それは珍しくもない光景だ。故人を偲んで泣くのは当然の情動だろう。
だが、ギンガはそうではなかった。彼女の心は冷たく醒めていくばかりで、ゼストのために泣いているシグナムたちにさえ嫌悪を抱いてしまう。見てるだけで嘔吐を催すほどに。
――なぜ、そんな奴のために泣くのか理解できない。そいつはただの殺人者なのに。
ギンガが、みんなより離れた位置で葬式の顛末を見守っている理由がそれだった。
死者を冒涜するつもりは毛頭ない。が、それでもゼストが眠るあの棺の前に立てば、ギンガの口から滑りでてくるのは弔辞ではなく、場違いな怨嗟と罵倒の雨あられだろう。
そんな怒りと憎しみを自覚していたからこそ、ギンガは独り、つくねんと佇んでいたのである。死者に敬意を払ったわけではなく、それを見送る参列者に迷惑をかけないために。
それが今、ギンガにできる精一杯の自粛であり、良識に則った最低限の自制でもあった。
「でもそんな言い訳、なんかみっともないよね。だって私と同じ境遇のはずのスバルが、あんなにしっかりと現実を受け止めてるんだから」
言いながらギンガは視線を横に滑らせ、シグナムとアギトの後ろにいるスバルを見る。
その途端、ギンガの心の温度が穏やかになっていく。ギンガにとってスバルの存在は、それだけ心優しいものなのだ。もっとも、その瞳に宿る憂いの翳りはそのままだったが。
「なんか情けないよね。私のほうがお姉ちゃんなのに。こんな醜い気持ちを抱えて」
「そうか? べつに恥ずかしいことじゃないと思うがな。おまえのその気持ちは、よ」
ギンガの自嘲に、ゲンヤが軽く相槌を打った。蔑むでも慰めるでもなく、ただ淡々と。
父親の真意を計りかね、ギンガは右隣に視線を向ける。ゲンヤは面映そうに笑った。
「たぶんスバルは、母さんに似てるんだよ。あの竹を割ったような性格がな。あいつは寛大でも鷹揚でもなく、ただガキみたいに真っ直ぐなだけなんだよ。自分の信じた道を一直線にしか進みやがらねぇ。そんなだから、ときどき壁にぶちあたったりするが、目的意識は明確だからすぐに走りはじめる。……それに対してギンガよ、おまえは俺に似てるよ」
「私が、お父さんに?」
ギンガの問いに「そうだ」と野太い声で返事をすると、ゲンヤは言葉を続ける。
「悩んでばっかりだよ。後悔も数えきれないほどしたし、誰かを憎んだことだってある。いまのおまえと同じようにな。だから昔の戦闘機人事件を、執念深く調べてまわってた」
「……それで、お父さんはどうやって自分の心と折り合いをつけたの?」
「べつに折り合いをつけたわけじゃねぇさ。もちろん時間が解決してくれたわけでもない」
ゲンヤはそこで言葉を区切る。それから、なにか大切な思い出を語る風情で呟いた。
「憎しみはな、長く続かないんだよ。
人生という道を歩き、そのなかで多くの人に出会い、誰かを愛しちまえば、知らぬまに消えちまうのさ。それにとりわけ、俺は幸運だった」
神妙な顔で聞いているギンガを見おろして、ゲンヤは照れくさそうに笑って言い切る。
「クイントがいなくなって悲しかったが、寂しくはなかった。おまえたちがいたからな」
ギンガの心臓が大きく高鳴る。重く垂れこめていた黒い霧が吹き払われる思いだった。
思えばゲンヤには心労をかけてばかりだった。ナンバーズたちに敗北して拉致され、スカリエッティの
言ってみれば、ここまで育ててくれた恩を仇で返したも同然なのである。愛想を尽かされても、それは当然の報いと言えるだろう。だというのにゲンヤは、こんな親不孝な娘を心の
鼻の奥がツンと痛んだ。少しでも気を弛めれば、その瞬間に感情が溢れそうだった。
――と、おもむろにゲンヤの右手が、ギンガの頭を撫でたのはそのときである。
「だから今度は、俺が受け止めてやるよ。おまえの綺麗な感情も醜い感情も、ぜんぶまるごと隔てなく。それが親心かどうかはわからないが、俺にできることのひとつだからな」
やはりゲンヤは照れくさそうに笑って、ギンガの髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
一方、野放図に触れてくるゲンヤの手を意識しながら、ギンガはあらためて確信する。
節くれ立った父の掌。この力強いぬくもりに、今日まで自分は守られていたのだと。
今すぐには無理だろう。だがいつの日か必ず、ゼストに対する恨み辛みを過去形にできるはずだ。迷いなくそう言える。なぜなら自分は、この厳しくも優しい父の娘なのだから。
「……ありがとう、お父さん。私、目を逸らさずに向かい合ってみる。自分の心と。だからときどき、不機嫌なこともあるかもしれないけど、そのときは甘えてもいいかな?」
ギンガはすっきりした表情で
「許可なんて取らなくていい。好きなときに好きなだけ、遠慮なく甘えてくれていいんだ。おまえは俺にとって他の誰にも代役などできない、世界に二人しかない娘なんだからな」
「うん、ありがとう。不肖な娘ですが、これからもお世話になります」
やがて――ゼストの亡骸を納めた棺が、ミッドチルダの大地へと完全に埋められる。
ギンガはその光景を、まるで憑きものが落ちたような心地で見送ることができた。
心から愛し、尊敬し、憧憬する、ゲンヤに寄り添いながら。いつか父のように優しく強くなりたいと願いながら。
そうしてギンガは、大人になるための長い長い階段をのぼりはじめた。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。
《ブログについて》
魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
イヒダリ彰人の妄想をただひたすらに書きつらねていきます。
もちろん無断転載は厳禁。
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