イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐乱刃 本編(1)
「はい、アリサちゃん。二日前の戦いで損傷した緋炎の鞘、完璧に修繕しておきましたよ」
「ありがとう、マリー。あなたがいてくれて、ほんとうに助かったわ」
無事に修繕されて戻ってきた緋炎を受け取りながら、アリサが快活に微笑んで礼を返す。
一方、大切そうに緋炎を抱きしめるアリサを笑顔で見守るのは、時空管理局『本局』に所属する精密技術官――マリエル・アテンザだ。中学生のような短身痩躯に管理局の制服を着用し、そのうえに清潔そうな白衣をまとう、縁のない眼鏡をかけた愛らしい女性である。
「いえいえ、どういたしまして。これも名目上は仕事の一環だから、あまり気にしないで。……ああでも、緋炎の力をセーブするのに鞘は必要不可欠な装備だから、できれば無茶な使い方はしないでね。とくに今回みたいに、カードの化身を鞘で殴りつけるような真似は」
「うっ。そ、それは……ちゃんと反省してるわよ。次からはきちんと自重するわ」
相好を崩したまま注意を促すマリエルに、アリサは頬を引きつらせて肩をすくめた。
めったに見られないアリサの恐縮ぶりに満足したのか、マリエルがあどけない子供のような笑顔で頷く。ただでさえ童顔に見えるマリエルの表情が、その微笑でさらに幼くなった。
絹のように滑らかなマリエルの髪は、アリサのショートボブより若干短い。そのため二十歳という花盛りでありながら、マリエルの魅力と色香は女性的なものでなく、むしろ純心無垢な美少年といった倒錯的なものだった。男装でもさせれば、さぞや淑女にモテるだろう。
「それと『
得意気に言いながら、マリエルが白衣のポケットから一枚のカードを取りだす。それは一見、ただの風変わりなトランプにしか見えないが、その正体はミットチルダの魔法技術が結晶化した魔導師の杖――デバイスである。より正確に言えば、そのデバイスの待機状態だ。
差し出されたマリエルの手から、すずかは恭しくデバイスを受け取る。
「ありがとうございます、マリーさん。大切に使わせてもらいますね」
すずか当人にそんな意識はなかったが、端からみれば実に皮肉の利いた返答だった。
翠緑の宝石を閉じこめたアリサの瞳が細まり、不機嫌そうな口調で親友にからんでくる。
「ちょっと、それってどういう意味? 私が緋炎を大切に使ってないって言うわけ?」
隣の席から
「ち、違うよ。わたしはそんなつもりで言ったんじゃない。アリサちゃんの誤解だよ!」
「わかってるわよ。ちょっとからかってみただけだから。でもその慌てよう……怪しい」
「はいはい、悪ノリもそこまでにしてね。それ以上やると、すずかちゃんが可哀想だし」
白い丸テーブルを挟んだ向かい側に座ったマリエルが、とりなすように手を打ち鳴らす。
アリサが露骨に「チッ」と舌打ちをし、すずかはホッと胸を撫でおろした。
日暮れ時にしてはまだ明るい陽射しを白々と透過する、四方一面をガラスの壁に囲まれた瀟洒なテラス。ガラス越しから庭が見えるそこは、すずかの生家である月村邸の持ち物だ。
私立聖祥大学付属中学校から帰ってきたアリサとすずかは、その足で月村邸の広大な庭園に設けられた転送ポートへ向かい、そこで打ち合わせどおりにマリエルと合流。そしてマリエルに修繕と調整を頼んでいたデバイスを、このテラスで受け取っていたというわけだ。
すずかとアリサは私服ではなく、中学校の制服を着ている。そんな少女たちが七つも年上のマリエルと同じテーブルを囲んで談笑する光景は、彼女たちの事情を知らない者たちからみれば奇妙以外のなにものでもないだろう。もっとも、知られたら困る類の事情なのだが。
「でもアリサちゃん、どうして緋炎の鞘で殴りつけようなんて思ったの?」
マリエルが首を傾げて問いかけた。アリサは決まりが悪そうに苦笑をひとつ浮かべる。
「二刀流ってカッコイイと思ったのよ。だって、なのはのお姉さん――美由希さんも御神流っていう古武術で二刀を遣うらしいじゃない? だからちょっと憧れたのよ。……悪い?」
ふてくされたように上目を遣ってくるアリサに、今度はマリエルが苦笑する番だった。
「憧れるのはいいけど、鞘は壊さないでね。緋炎が暴走すると大変なことになるから」
「……ねえマリー。もしかして私、いまから延々とお説教を聞かされる羽目になるの?」
アリサが憮然と口にした。マリエルは考えるそぶりを見せたあと、真面目な顔で答える。
「似たようなものかな。実は、ここに来る前にユーノくんから頼まれ事されててね。なんでも、アリサちゃんとすずかちゃんに話しておきたいことがあるらしくて。それでさっきから、ユーノくんを待たせてるの。多忙な人だから、時間を取らせて心苦しいんだけど」
「ユーノくんが? でも、どうして待たせてるんですか? そんな必要なんてないのに」
予期せぬ人物の名前が出てきて驚き、すずかは思わず問いを投げかけていた。
その問いに対する答えは、向かい側に座るマリエルでなく、隣の席からもたらされる。
「なに言ってるのよ、すずか。もしユーノが見てたら、私の緋炎とあんたのデバイスを、マリエルがいつまで経っても返せないじゃない。シルエットカードを集めてることは、私たちだけの秘密なんだから。疑いを懐かせるような現場を見られるわけにはいかないでしょ?」
呆れ顔のアリサに諭されて、すずかは「あっ」と探し物をみつけたような声をもらす。
思い出した。海鳴市のあちこちに散らばったシルエットカードは自分たちが全部集める。魔法のカードと運命の邂逅をはたしたその日の夜に、そうアリサと約束したではないか。
そんな少女の落ちこみようを見かねたのか、アリサが慰めるような声音で口を開いた。
「もう、そんな叱られたあとみたいな顔しないの。べつに怒ってるわけじゃないんだから」
「でも、あさはかな考えだった。ちょっと気が弛んでたのかも……ごめんね」
「だから私は気にしてないって。それよりもあんたは、一刻も早くいつもの自分に戻んなさいよね。そんな暗い顔を見せられ続けてるほうが、よっぽど嫌味で迷惑な話なんだから」
言い方こそぶっきらぼうだったが、言葉の端々にアリサなりの優しさが感じられた。
すずかの口元が自然と弛んでいく。その不器用で素直でない優しさが、今はたまらなく愛おしく感じる。やはり自分にとってアリサは、もはやなくてはならない無二の親友らしい。
すずかは見事に憂鬱から立ち直った。それから復活を証明する極上の微笑みをひとつ。
「ありがとう、アリサちゃん。うん、大丈夫、すごく元気でた」
「そ、そう? まあ暗く沈んでる顔より、すずかには笑顔のほうが似合ってるけどね」
当惑げに言いながら、アリサが頬を紅潮させた。もしかすると照れてるのかもしれない。
すずかは微笑ましげに「くすっ」と声をもらしてしまう。いつもアリサの挙措と言動に一喜一憂しているのは自分ばかりなのだ。たまにはこんなふうに意趣返ししてみるのもいい。
一方、すずかの魅力的な微笑に絡めとられ、アリサは進退窮まったことを悟ったようだ。落ち着きなく翠緑の視線をさまよわせたあと、半ばやけくそ気味の剣幕で叫び声をあげた。
「ちょっとマリー! ユーノを待たせてるんでしょ? だったら早く召喚しなさいよ!」
照れをごまかすのに必死なアリサ。その彼女に、マリエルは悪戯っぽい含み笑いをみせた。
「そんなに照れることないじゃない。すずかちゃんとアリサちゃんの仲のよさは、わたしも知ってるし。それにユーノくんは優しいから、少しくらい待たせても怒らないわ」
マリエルはすっかり傍観の構えらしい。鬼の首を取ったような顔で素知らぬ風情を決めている。むろんそれは、アリサからみれば歴然の皮肉としか映らない。柳眉が吊りあがった。
「いいから、さっさとユーノを呼びなさい! ぜんぜん話が進まないでしょ!」
アリサはとうとう癇癪を起こした。ショートボブの金髪を腹立たしげに掻き乱す。
見るに見かねたすずかは、「早くユーノくんを呼んでください」という念をこめた眼差しをマリエルに向ける。マリエルは苦笑すると、返事の代わりにコンソールを投影した。
魔力で構成されてるらしいコンソールのパネルを、マリエルはオルガン奏者を思わせる滑らかな指の動きでブラインドタッチ。すると今度は、丸テーブルの真ん中あたりの虚空に、澄んだ泉のように透明で紙のごとく薄いディスプレイが現出した。時空管理局が仲間と連絡を取るための手段として奨励している、空間モニターと呼称された通信システムである。
地球と時空管理局『本局』は距離が
アリサとすずかが凝然と見守る中、空間モニターの映像に見知った人物の顔が現れた。
「あ、やっと繋がった。忘れられたかと思って不安だったんだけど、杞憂みたいだったね」
安堵の吐息をつくと、ユーノ・スクライアは空間モニターの中で朗らかに笑った。
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プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。
《ブログについて》
魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
イヒダリ彰人の妄想をただひたすらに書きつらねていきます。
もちろん無断転載は厳禁。
《連絡先》
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