イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐乱刃‐ プロローグ
――手にしたのは十字架と炎の刀。
――交わした約束は二人だけの秘密。
――今宵も不思議なカードに導かれ、魔法の宴が始まる。
ひそりとも音がしない初夏の夜。白々と輝く満月に睥睨された海鳴市の住宅街。
その軒を連ねる屋根から屋根を、まるで
「もうだいぶカードの気配に近づいてると思うんだけど……すずか、なにか感じる?」
人ならぬ跳躍で家並み駆けながら声を発したのは、凛々しい顔立ちをした少女だった。
鎖骨までの金髪の左右には赤いリボンが結ばれ、その小さな二房がまるで垂れた猫耳を連想させる。そして怜悧に輝く切れ長の双眸は、色白の顔肌を引きたてる
身にまとった黒いノースリーブのトップスは、機能的だが奇抜なデザインをしていた。
か細い首に巻かれたチョーカーのような白い襟は上着から独立しており、その前後から左右に分かれて斜めに伸びた二対の
名工の手によるヴァイオリンのように見事に
繊細そうな両手には黒手袋。その左手に反りの浅い刀を提げていた。ただ、それはありふれた日本刀ではなく、皇族や高位の公家の者が自らの威を示すため
その銘を『
「うん。アリサちゃんの言うとおり、かなり近づいてる。あともう少しで追いつくよ」
大きな
生温かい夜風になびく、胸の前に垂らした二房のおさげ。腰まで流れるその艶めいた黒髪は、皓々と浮かぶ満月からの光を透過して、まるで紫水晶のように輝いていた。
肩の膨らんだ濃紺の上着はブラウスのような作りで、折り返し袖の白い手首には縦と横に紺色の線が入っている。一見してセーラー服を思わせる白い襟、女性らしく綺麗に膨らんだ胸元を割る赤い蝶リボン。紺色が二枚とその下に白い一枚を覗かせる、フリル重ねのミニスカート。膝丈下の白いハイソックスの足には、リボンのついた黒いパンプスを履いていた。
まさに可憐と表するにふさわしい出で立ちである。誰もが目を奪われる美しさだろう。
――それらすべての印象を裏切る、左右の手に携え持った武器さえなければ。
右手には、すずかの身の丈より長い巨大な十字架型のアームドデバイス『
そして左手には掴むのは、柄と刀身が一体化した短剣型デバイス『
呑みこまれそうな夜闇を背景に屋根から屋根へと飛び移るアリサとすずか。まるで固い地面を行くかのように平然と前進する彼女たちの前に、やがて小さな公園が見えてきた。
「アリサちゃん、あそこ! あの公園から、カードの気配を強く感じる!」
「ジャングルジムが見えるあそこでしょ? 確認したわ。さっさと行って片づけるわよ!」
すずかが指さした公園を睨むやいなや、アリサは移動速度を猛然と跳ねあげた。
まさに猪突猛進。ぐんぐん先を行くアリサの背中を、すずかは慌てて追いかける。
「ちょっと待って、アリサちゃん! ひとりで突っこみすぎるのは危険だよ!」
「大丈夫よ。サンダーのカードのときみたいなヘマはしないわ。それより、すずかも早く」
肩越しに振り返ったアリサが急かしてくる。すずかは呆れたような溜息をひとつ吐く。
「あんまりうるさくすると、カードに気づかれて逃げられちゃうよ。わかってるのかな?」
すずかは妹のわがままに付き合う姉のような心境で、アリサの端然とした後ろ姿に続く。
よく向こう見ずな行動を取るものの、基本的にアリサは思慮深く周到な性格だ。突発的な事件にも臨機応変かつ機敏に相対できる。だからアリサの身の安全については、それほど過保護には思っていない。むしろ神経質なほどに守られているのは、すずかの方なのだ。
理由は比較的簡単に推し量ることができる。現状で『シルエットカード』を封印できる魔導師が、すずか一人だけだからだ。すずかが封印処置を施さなければ、シルエットカードは地球で暴れまわることを決して止めないだろう。それはすずかも重々承知している。
――だというのに、いつも胸の内に湧く奇妙なささくれは、いったいなんなのだろう。
そんなふうに煩悶していたときだ。すずかは足の裏に硬質な手ごたえを感じた。
細い眉をひそめながら足元を窺う。いつのまにか、ジャングルジムの頂上付近に降り立っていたようだ。すずかは、四角い格子を形作る鉄製のポールの一本を足場にしていた。
「すずか見て。公園の真ん中あたりで光ってるの、あれシルエットカードじゃない?」
隣のアリサが声をひそめて訊いてきた。忘我状態だったすずかは、その声で我に返る。
そうだった。いま最優先で注意を傾けるべきなのは、厄災の火種かもしれないシルエットカードのほうだ。にもかかわらず、どうして自分は益体のない思考に
すずかはかぶりを振って気を取り直すと、あらためて前方の光景に目を向けた。
これはすずか自身にもわからないことの一つなのだが、シルエットカードの気配を感じているときや、胸の内を高揚とも激情ともつかない感覚が渦巻いているとき、すずかの身体能力は異常なほど強くなる。そのため、今はフクロウのように夜目が利くようになっていた。
まるで昼間のごとく鮮明に映る視野で捉えたのは、なにもない虚空にふわふわと浮かぶタロットカードめいた紙片。星のごとく発光するそれは、アリサが指摘したとおりのものだ。
「間違いない、あれはシルエットカードだよ。カードの化身が出てきてないところを見ると、まだ悪さはしてないみたいだけど。でも気配でわかる。暴れたくてうずうずしてる」
すずかの声は、緊張のあまりか細く震えていた。そのときアリサが不敵に笑顔をみせる。
「なるほどね。じゃあギリギリ間に合ったってわけだ。ていうか、むしろ好都合じゃない」
翠緑の眼光を刃物のように鋭くすると、アリサは左手に提げた緋炎の柄に手をかけた。
「存分に暴れさせてやるわよ。ただし、遊び相手は私たち二人だけ……」
初夏の夜気を震わせる鞘鳴りとともに、アリサは緋炎を抜き払う。
アリサの右手に現れたのは、真上からの月光をギラリと弾く研ぎ澄まされた白刃。波打つ刃文も鮮やかなその刀身に、やおら灼熱の炎が火山のように噴きあがる。
魔力を一切持たないはずのアリサが、なぜ魔導師のように振る舞うことができるのか。その謎めいた手品の種こそ、たったいま轟然と炎を召喚した『緋炎』の瞠目すべき機能であった。なんと緋炎には魔力が宿っているのだ。むろんそれは、カートリッジのような使い捨ての魔力炉ではない。少し休めば人間の体力のように回復する『生きた魔力』なのである。
アリサは、尋常な魔導師のようにリンカーコアに蓄積した魔力で魔法を行使するのではなく、魔力の発動源たる緋炎を自在に駆使して魔法を用いているにすぎないのだ。
それは魔導師の観点からみれば、にわかには信じがたい事実だろう。よもや刀剣型のアームドデバイスにしか見えないそれが、実は刀剣型のリンカーコアであるという事実など。
もっともアリサにとって重要なのは、緋炎を持っていれば無能な自分でも魔法が使えるという一点のみであり、その他の科学的な見地や魔導師の見解にはとんと興味がなかったが。
「もちろん退屈はさせないわ。でも私たち結構強いから、あとで泣いて後悔するかもね」
居丈高な口調でそう告げると、アリサは紅蓮に燃える切っ先でシルエットカードを睨み据えた。まったくもってアリサらしい、自信に満ちあふれた大胆不敵な物言いである。
「さあて……いくわよ、すずか。準備はいい?」
剛胆に笑うアリサに、すずかも微笑みを返す。気がつけば、さっきの緊張は消えていた。
「うん。もちろんだよ、アリサちゃん。――カートリッジロード!」
右手の巨大な十字架に設えられたカートリッジシステムが起動する。回転式拳銃のシリンダーに似た装置が上下動し、銃撃のような轟音とともにカートリッジがロードされた。
それと同時に、すずかの藍色の虹彩が妖しく赤く輝く。――それが合図だった。
アリサとすずかは、足場にしているジャングルジムの格子を強く蹴って跳躍する。
高々と宙を舞う二人の少女。炎をまとう白刃が、冴え冴えと月色に輝く十字架が、眼下の敵を射竦める。アリサとすずかは落下の勢いをそのままに、シルエットカードを強襲した。
『はあぁぁぁぁぁッ!』
――アリサとすずか。
彼女たちが厄災のカードを狩る『魔法少女』だ。
BACK / NEXT
この記事にコメントする
この記事へのトラックバック
- この記事にトラックバックする
カレンダー
Web拍手
プロフィール
イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん
《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。
《ブログについて》
魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
イヒダリ彰人の妄想をただひたすらに書きつらねていきます。
もちろん無断転載は厳禁。
《連絡先》
aki_ihidari☆yahoo.co.jp
なにかあれば上記まで。
☆を@にしてお願いします。