イヒダリの魔導書
月荊紅蓮‐時遡‐ 第十七話
連載中の中編SS『月荊紅蓮‐時遡‐』の第十七話を更新しました。
第十八話の更新は来週の日曜日(21日)を予定。
《余談》
女子バレーの日本代表が32年ぶりのメダル(銅メダル)獲得。
おめでとうございます。
今日は祝い酒ですな。
とか言いながらも、実はアメリカチームに1セット目を取られたとき「今日もダメかな」とか思ったのは、ここだけの秘密です。
ともかくおめでとう。
「さっそくだけど、君たち二人に、ひとつ質問したい」
正面に起立した【
「その趣味の悪い仮面はなんだい? もしかして新手の羞恥プレイとか?」
役目を終えて過去から帰ってきた少女たちは、いま高層ビルほどに大きな砂時計の頂上にいた。大理石で作られているらしく全体が白く輝いている。
そして周囲に広がるのは蒼い空と海だけ。あとは建物もなければ陸地すら存在しない。
無窮の蒼と白い砂時計を珠の中に閉じこめた世界。
それが魔力を使って具現化した【時】のカードの姿である。
しかし【時】は自分の意識だけを人間の規格に合わせて実体化することもできた。
目の前に佇む少年がそれだ。
ちなみに容姿がフェイトの義兄であるクロノ・ハラオウンと瓜ふたつなのは、本人いわく「非の打ちどころがない完璧なルックスを追求した結果」らしい。
ようするに単なる偶然だった。
「にしても不気味な仮面だね。なんか見ているだけで呪われそうだ。さすがの僕も身につまされるよ。
……よし、決めた。こうなったら僕も腹をくくろう。その拷問めいた羞恥プレイに付き合おうじゃないか。なに遠慮することはない。それが紳士の義務だからね」
「ふ~ん。そこまで言うなら遠慮はしないわ。ただし勘違いしないで。あんたにくれてやるのは仮面なんかじゃない。私の憎悪をあふれるくらいに注ぎこんだ殺人パンチよ!」
わなわなと震える声が、すずかの隣で発せられた。
「まずは右の頬を、つぎは左の頬を、交互に差し出しなさい。そのご自慢のお顔をボッコボコにしてやるわ」
ニヤニヤしながら軽口を叩く【時】に応じたのは、【
容姿は九歳のときのアリサを模している。そのため当然のごとく美人だった。
しかし今の彼女は額に青筋を立てていた。
顔は笑っているのに目は笑っていない。
さらに腰まで届く金髪は、イノの全身から放たれる鬼気にあおられて、風もないのにそよいでいた。
まさに般若の形相である。
そして右手は握り拳になっていた。
いつでも相手を殴れる構え。
愚かなナルシストを抹殺する準備は万全だった。
そんな彼女の脅迫に必滅を感じたのか、そのとき【時】が急に態度を一変させる。
「じ、冗談に決まってるじゃないか。こんな素敵な仮面は今まで見たことがない。まさに神さまの贈り物。仮面職人も嫉妬に狂うほどの出来栄えだ。ああ、ずっと眺めていたい」
ものすごく露骨な阿諛追従だった。
あまりにも露骨なので逆に毒気を抜かれてしまいそうなくらい。
イノが深い深い溜息をついた。
「もう幻覚の術なんて、とっくに解除したわよ。だからいくら眺めても、姉さまたちの顔に、仮面なんか見えないわ。いいかげんなことばかり言わないでよね。まったく」
すると【時】が案の定、取りつくろうのをやめた。
ふたたび憎たらしい顔つきに戻る。
それから【時】は無言のまま、すずかとアリサの顔を見つめた。
いたぶるような失笑がもれる。
「幻術を解除した? それは本当かい? だったら冴えない顔が二個も並んでいるのはどういうことなんだ?」
「よりにもよって、その質問を【時】、あなたがしますか。趣味が悪いのはどっちなんだか」
偉そうな態度を取り戻した【時】に応じたのは、【
見た目と年齢の設定はイノと同じく九歳くらい。
その慎ましくも可憐な容色は、すずかを徹底的に模倣している。
しかし綺麗に切り揃えられた前髪、そしてヘアバンド代わりの黒いリボンが、すずか本人とは似ても似つかない、少女趣味的な雰囲気をトワに与えていた。
「私たちを四年前の世界に送ったのはあなたです。現場の状況を知る手段もあったでしょう。だったらお姉さまたちが、なにを悩んでいるのか、だいたい察しているはず。違いますか?」
トワが重たげな瞳で、じっと【時】を睨んだ。
相手は剽げた仕草で軽く肩をすくめてみせる。
「たしかに君の言うとおりだ。諸々の事情は知っているよ。厄介な問題だよね」
彼は大げさに、やれやれ、と溜息をついた。
それから鬱々とした少女たち――すずかとアリサに声をかける。
「僕たちシルエットカードは、過去に契約を交わしてきた術者を通じて、いろいろな人間を見てきた。だから君たちみたいに、自分の幸不幸よりも他者のそれをおもんばかってしまう人種の考えることは、なんとなく想像がつく」
その言葉を受けて、すずかとアリサが、ぴくっと反応した。伏せていた頭があがる。
「後悔しているんだろう? 『未来で遭遇する危険』を、友達に伝えなかったことを」
すずかは心臓が止まりそうになった。
見事に言い当てられてしまったからだ。
しかたがないと言い聞かせながらも、ぜんぜん割り切れていなかった懸念を。
ふと消えない烙印のように、すずかの脳裏に悔悟が浮かぶ。
はたして自分の判断は正しかったのか。
あれが本当に最善の選択だったのだろうか。
よく考えれば危険を知らせる方法があったのではないか。
もしそうだとしたら自分は、大切な友達を見捨てたことに……
頭に去来する被虐的な自問の数々が、まるで刃のように彼女の心を傷つける。
「本当は話したかったよ。未来のことを」
すずかは物憂げな表情で語りはじめた。
「もちろんわかってた。それがいけないことだっていうのは。でも知っていることを、ぜんぶ話したかったよ。後悔? 後悔ならたくさんしているよ。だって悲劇が起きるのを知っていたのに、それでもなにもできなかったんだから」
すずかは胸の内を一気に吐露した。
理性の壁を突き破った激情は、まるで濁流のように苛烈だった。
「終わったことをネチネチ悔やむのは、私の性分じゃないんだけど、さすがの今回の一件は少しこたえたわね」
今度はアリサが口を開いた。
サバサバした言い方である。だが唇は苦笑の形に歪んでいた。
「私たちは過去に行って【
「守ったよ」
自嘲気味に語るアリサの告解に、いきなり【時】が言葉をかぶせた。
それが大地にように揺るぎない口調だったので、すずかとアリサは二人して呆気にとられてしまう。
「君たちが【加速】と【停滞】を封印しなければ、かなりの確率でシルエットカードの存在は、今よりも過去の世界で明らかにされていただろう。おそらく君たちよりも先に管理局がシルエットカードを発見したはずだ。
そうなったら間違いなくタイムパラドックスが起きていた。君たちはそれを未然に防いだんだよ。ちゃんと守れたじゃないか」
理屈だった。
彼の言葉は正しかったかもしれないが、人間的な解答と呼べるものではなかった。
ようするに理解はできるが納得できない話だった。
残念ながら懊悩する二人の心には響かない。
すずかは弱々しく首を振り、ひそかに失望の吐息をこぼす。
「わたしたちは英雄の真似事がしたかったわけじゃない。ただ友達と過ごせる毎日を、平凡だけど安心できる日常を、無くしたくないだけだった。だから必死になって戦ったの。
なのはちゃんが大怪我を負う悲惨な運命を守りたかったわけじゃない」
すずかの発言は八つ当たり以外のなにものでもなかった。
が、【時】の老成した大人を思わせる鷹揚な態度は変らない。
それどころか彼は、泣く子もたちまち安心させてしまうような、優しい顔をしていた。
「これが僕たちシルエットカードの新しい契約者か……
かつては人間を
君たちは良くも悪くも素直なんだね」
はたして褒められたのか貶されたのか、いまいち判別できない言いまわしだった。
一瞬、からかわれている可能性も疑ったが、【時】の表情に揶揄の影は窺えない。
彼は微笑を浮かべたまま話を続ける。
「君たちは友達の運命を変えたかったんだね。悲劇なんて辛いだけだから。でも僕は、こう思う。大切なのは倒れないことじゃない。倒れてもすぐに立ちあがることなんだ。
思い出してごらん。その友達は自分の不幸を嘆いてばかりだったかい?」
相手の意図がわからないまま、すずかは当時の様子を振り返る。
アルバムの写真のように開帳されたのは、入院中、なのはが常に貼りつけていた凄愴な笑顔だ。
思い出すたびに胸が悪くなる。
まわりの人間を気遣って作られた不自然な表情だったのだ。
本当は不安と恐怖で今にも砕け散りそうだったくせに……
「でも、違う」
だが当時のことで思い出すのは、なのはの痛々しい姿だけではない。
そうだ。
すずかは知っている。
再起を諦めなかった幼なじみの精神力を。
過酷なリハビリにも耐え抜いた強い意志を。
そして見事に復活を遂げた彼女の努力を。
すずかは首を横に振った。
肩の高さで左右に分けた二房のおさげも同じようように揺れる。
「なのはちゃんはそんな弱い子じゃなかった。ちゃんと自分の力だけで立ち直った」
「自分の力だけで、か。はたして本当にそうだろうか」
すずかの確信的な言葉に、しかし【時】が異を唱えた。
「人は自分以外の誰かに支えられて生きているんだろ? だったら実際は誰の目にもつかない精神的な部分を、たくさんの味方に支えてもらっていたんじゃないか?」
すずかの眉目に疑念が漂う。
「どういう意味?」
「君たちが過去の世界でやってきたことは無駄じゃないってことさ」
クロノと瓜ふたつの【時】の顔に、そのとき含みのある微笑が浮かんだ。
「別れ際に言っていたあの台詞、きっと相手に伝わると思うよ。来たるべきときが来たら必ず、ね」
「それってあれだよね。なのはちゃんとフェイトちゃんに助言したことを言ってるの?」
すずかは途端に腰が引けた。余計なことを話したという自覚があったからだ。
けれど正面の【時】に責めてくる気配はない。
ただ含み笑いを浮かべたまま、平然とした様子で会話を続ける。
「そんなに身構えなくてもいいよ。別に怒ってないから。まあ多少は歴史に変化があるかもしれないけど、あったとしても全体を揺るがせるほどじゃないさ。
だから悲観的に考える必要はない。むしろ楽観的に解釈すればいい。これは福音の前兆なんだってね」
そう【時】は気楽な調子で言ったが、すずかのほうは背筋が凍る思いだった。
「でも多少は歴史に変化があるわけでしょ? それって大変なことなんじゃないの?」
「本当に微々たるものだったからね。
それに君たちの内輪の話で壊れるほど世界は脆くないさ。なんせ【加速】と【停滞】を相手に、あれだけ派手に暴れたのに、たいして影響がなかったんだからね。おそらく世界ってやつは、僕たちが考えていたよりも、ずっと寛容だったんだよ」
その言葉を聞いて、すずかはホッとした。
ホッとした途端に彼女は、はたと違和感に気がついた。
心痛の種である自責の念が、だいぶ緩和されていたのだ。
今はわずかに疼く程度にしか感じない。
それは驚くべき変化だった。
いったいなにが彼女を暗澹の底から引きあげたのだろうか。
すずかは狐につままれたような心地で正面の【時】を見据えた。
「気のせいかもしれないけど、もしかしてわたしたちずっと――」
その先の言葉はアリサが引き継いだ。
「慰められてたの? 【時】に? 口を開けば皮肉と自己中心的なことしか言わないような奴に?」
驚いた……というよりは度肝を抜かれた。
まさか唯我独尊の権化みたいな【時】に気を遣われるとは思ってもいなかったのだ。
なんだか不思議な光景に遭遇したような感じがする。
「反応がいちいち大げさだな。こんなの単なる老婆心だよ」
驚愕する少女たちに一瞥を投げたあと、【時】はくるりと反転して背中を向ける。
「こう見えて君たちよりも、永い時を生きているんだ。たまには後輩の面倒だってみるさ。てなわけで涙を流しながら感謝しろ。それこそ体中の水分が枯れ果てるほどに」
そう背中を見せたまま話を締めくくる。出会った当初と変わらない尊大な言い方だ。
が、すずかは見逃さなかった。
背を向けた【時】の顔が一瞬、かすかに赤く染まっていたのを。
どうやら彼にもあるようだった。
気恥ずかしくて人には見せられない表情が。
そのときアリサが「ふ~ん」と嫌らしく笑った。
目がネズミをいたぶる猫のそれになっている。
「なに気取ってるのよ。ほんとは顔を真っ赤にして照れてるくせに。初々しいわねぇ」
「なにをバカな。この僕が君たち程度を相手に照れるわけがないだろう。見間違いだ」
すげなく答えた【時】だったが、ほんのわずか、白い学生服の肩に力が入っていた。
図星の確信を得たアリサは、まるで鬼の首を取ったかのように、したり顔を浮かべて追及する。
「照れてるわね」
「照れてないぞ」
「めちゃくちゃ照れてるでしょ」
「めちゃくちゃ照れてないぞ」
「い~や。絶対に照れてる」
「い~や。絶対に照れてない」
まるで子供みたいな応酬だった。
すずかは悪いとは思いながらも、ついつい声に出して笑ってしまう。
そんな彼女の目の前で、シャボン玉のようなものが「パンッ!」と音をたてて弾けたのは、次の瞬間の出来事だった。
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イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
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でも執筆速度はカメのように遅い。
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目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。
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