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月荊紅蓮‐時遡‐ 第八話

 どうも二週間ぶりです。
 中編SS「月荊紅蓮‐時遡‐」の第八話を更新しました。
 第九話の更新は来週の日曜日(22日)を予定しています。

 ひさしぶりなので補足。
 このSSはiroiroiroの「さき千鈴」さんが設定を考えた「月荊紅蓮」の三次創作です。
 そして同人誌の発行元はのうちらす工房の「のうちらす」さんです。
 もちろん執筆の許可は事前に、お二人からいただいております。

 イヒダリの小説を読んで「月荊紅蓮」の世界観を気に入ってもらえれば幸いです。
 そしてみんなで「月村すずか」と「アリサ・バニングス」の活躍を見守りましょう。
 


 光の中に浮かんでいた自分の足裏が大地を探り当て、真白に燃え立つ視界がゆっくりと明度を落としていく。
 じっと目を凝らしているうちに……ほどなく茫漠たる大地が出現した。
 平らに(なら)された地面。
 むろん草花は一本も生えていない。
 間違いなく人間の手によって管理されている土地だった。
 すずかは愛嬌をたたえた瞳をまたたいて深呼吸をひとつ。
 バリアジャケットの保温機能のおかげで実感はなかったが、胸の前で左右に垂らした二房のおさげをそよがせる微風は、彼女の息を瞬時に凍らせて白くするほど冷たいようだった。
 単なる当て推量にすぎないが、おそらく季節は冬なのだろう。
 すずかは風に浚われた白い吐息を追って空を見上げる。
 そこには太古の昔から変わらぬ満月が凛と輝いていた。
 静かなだけ、時の流れに取り残された、というよりは背を向けた感じがする夜だった。
 前方には大きな建造物がそびえている。
 月明かりに洗われたそれを、すずかは確然と見知っていた。

「ここってグラウンド、だよね。わたしたちが通っている中学校の」
「そうみたいね。まさか本当にタイムスリップして過去に来られるなんて。ああ、でも」

 ふとアリサが眉をひそめて言いさした。
 すずかの左隣に立つ彼女は、怪訝そうな顔で校舎を眺める。

「どれくらいの時間を遡ったのかしら? 建物の様子は記憶にあるものと違わないから、そんなに遠い昔の時代じゃないみたいだけど。こんなところを顔見知りの誰かに見られたらマズくない?」

 すずかは校舎の壁に付けられた時計を確認する。
 真っ暗でよく見えなかったが、たぶん夜半を過ぎているだろう。
 そんな深更(しんこう)の刻限に、しかも真冬の空の下を、好んで出歩く者がいるとは思えない。
 もっともそれは彼女個人の先入観から導きだされた答えだ。
 絶対の自信を持って言える解答ではない。
 実際に時計の針は何事もなく動いていた。
 過去の世界が【(タイム)】の能力に支配されていない証拠である。
 もしも巡回中の警官に見つかりでもしたら……
 戸籍を証明できない今の状況は危険だった。

「悠長に話をしている場合じゃないね。早く【加速(アクセル)】と【停滞(スタグネイト)】を捜して封印しないと」

 そう語気も強く意気込んでみたものの、肝心の居場所については心当たりがない。
 クロノに似た顔を持つ少年――【時】の「行けばわかる」みたいなニュアンスから判断して、海鳴市のどこかに潜んでいるらしいことは推察できるのだが。
 もしかすると街の中を隅から隅まで捜してまわる必要があるのだろうか……
 すずかは嫌な予感を胸の内に秘めながら、おそるおそる右隣を振り向いて従者を見た。

「ねえ、イノちゃん。ここらへんにシルエットカードの気配を感じたりしない?」

 イノの答えは短い吐息だった。
 小学三年生のときのアリサと同じ髪型の頭が左右に振られる。

「残念ながら、さっぱりです。なんにも感知できません。トワのほうは収穫あった?」

 イノが歯痒そうな声で問いかけた。半身だけ前に乗りだしてアリサの左隣を覗きこむ。
 すずかの歳の離れた妹と言っても通用する、トワの小作りな顔には険しい色が滲んでいた。
 かぶりを振った挙措と連動して、ストレートの黒髪が左右に揺れる。

「こっちもぜんぜんダメです。【加速】も【停滞】も今は活動していない可能性があります。あるいは近場にいないとか。どちらにせよ地道に歩いて捜索するしかありません」
「やっぱりそうなっちゃうんだね……」

 すずかの声が重たい石さながら地面に落ちた。
 どうしても嫌な予感ばかりが的中してしまう。
 もちろん覚悟はできていたが、それでも落胆のほどは隠せない。
 こうなってくると【加速】と【停滞】に恨み言のひとつやふたつはぶちまけたくなる。
 そよ風が蕭々(しょうしょう)と頬を掠めていったあとで、ようやく彼女は溜息まじりに声を押しだす。

「はっきり言って気が乗らないけど、手間を惜しんでいる場合じゃないか。過去を勝手に変えられたりしたら、『わたしたちの現在』が、消滅しちゃうかもしれないもんね」

 前途の苦労を考えて萎えそうになった心を叱咤した次の瞬間。
 すずかの第六感が奇妙なひっかかりを覚えた。
 例えるなら誰もいないはずの部屋から物音が聞えてきたような。
 あいにく不明瞭な感覚だったので、その正体を確かめることはできない。
 けれど彼女は徐々に接近してくる生き物の気配を感じたのだ。
 無自覚のまま発現した『夜の力』の恩恵である。
 すずかは真剣な表情になって周囲を見まわした。
 ややあって校舎の真上の夜空に視点を固定する。

「この感覚って……もしかして魔力?」

 すずかの独り言めいた呟きに、アリサが怪訝そうに首を捻った。

「すずか? 急にどうしたの? あの向こう側に、なにか見えるの?」

 そう疑問系で言いながら、すずかの視線を追いかける。

「あ、オリオン座を発見。冬は空気が澄んでいるせいか、どの季節よりも星が見えるわ」
「アリサお姉さま。すずかお姉さまは魔力の接近を感じたんですよ。べつに星を眺めていたわけじゃありません」

 のほほんと星座を観賞するアリサに、トワがしかつめらしい語調で諫言(かんげん)した。
 アリサの星よりも胸を打つ端整な美貌が、屈辱と羞恥と痛恨の短剣に貫かれて歪んだ。

「も、もちろんわかってるわよ。つまりシルエットカードの気配を感じたんでしょう?」
「しかし私たちは、なにも感じません。たぶんシルエットカードの気配ではないですね」

 今度はイノが、かぶりを振った。
 彼女も困っているらしく、うんざりした風情である。
 アリサは意味のない唸り声をあげながら、ショートボブの金髪をイライラとかき乱す。

「じゃあいったいなんなの。なにが近づいてきてるのよ。たしか地球は管理外世界らしいから、魔法が使える生物なんていないはず……っているじゃない! この話を教えてくれた人たちがいるじゃないのよ!」

 いきなりアリサが金切り声をあげて取り乱す。
 すずかも同じ考えに辿りついて気が転倒した。
 ふたりは動揺したまま互いに顔を見合わせる。
 そして同時に「時空管理局!」と大きく叫んだ。

「地球に逗留してる魔導師って、十中八九、あの()たちしかいないじゃない。
 私たちの外見は成長しているけど、見た目が劇的に変わったわけじゃないし、もし鉢合わせすることになったら、ほぼ確実にこっちの正体を見破られる。過去の歴史が狂う」

 最悪の展開を予想したアリサの顔から血の気がなくなっていく。
 すずかは遮蔽物になりそうなものを探して視線をめぐらせた。が、すぐに暗澹(あんたん)となる。
 ひらけたグラウンドは「どうぞ隅々までごらんください」と言わんばかりだったのだ。

「でも隠れる場所なんてどこにもないよ。校舎に逃げても簡単に見つかりそうだし」

 やたらと声をひそめて話し合う二人に、トワが他人事のような調子で口を挟んだ。

「お二人とも落ちついてください。パニックになっても良い考えは浮かんできませんよ」

 すずかは耳を疑った。
 冷静な声音で自分たちをたしなめるトワの顔を凝然と見つめる。

「落ちついてなんかいられないよ。とくにトワちゃんとイノちゃんの顔は、ある意味でわたしたちよりもピンポイントなんだから。見られたら絶対に詮索される。そうなったら言い逃れできない」
「その心配は無用です。私たちは実体化を解いてカードの姿に戻ればいいだけですから」

 一刻を争う緊急事態にもかかわらず、なぜそんなに泰然としていられるのか。
 その理由が突然に判明した。
 はじめから慌てる必要などなかったのだ。
 なぜならトワとイノは自分の姿を透明にする手段を持っていた。
 すずかは目を点にしたまま口をぱくぱくと動かす。
 相槌を打つはずだったのに言葉がうまく出てこない。
 ずるい。
 卑怯だ。
 確信犯め。
 この三つが返答の所有権争いをしたからである。
 そうやって口ごもっている隙に、今度はイノが得意げに切りだした。

「不満ありありですね。まるで暗いオーラが見えるようだ。でも安心してください。私の『幻覚を見せる』能力で、姉さまたちの顔は抜け目なく、完璧にマスキングしますから」

 ほらこんなふうに、とイノが自分の顔を片手で覆って、すぐにそれを外した。
 すずかは呆気にとられて言葉を失ってしまう。

「……なにそれ?」
「見てわからないんですか? これは『マスク』ですよ。
 マンガやアニメに出てくる人物が自分の正体を隠すときは決まって、今も昔も変わらず視野を確保するための細長い穴がふたつ穿たれた、こういう表情をわからなくする白い仮面をつけてるじゃないですか」

 間違ってはいない。たしかに間違ってはいない。
 が、なにかを致命的に決定的に履き違えている。
 すずかは軽くかぶりを振って、ぼうっとする頭を目覚めさせた。

「にしてもどうしてマスク? わたしたちを別人に見せることもできるはずでしょう?」
「できます。が、私の幻術は基本的に姉さまたちの記憶や知識を元に作りだすものです。もしかすると都合の悪い人間に変身させてしまうかもしれない。たとえば欺きたい相手の家族とか恋人とか。そうなったら辻褄を合わせる必要が出てきて逆に困るはず」

 たしかに他人のふりをしてやりすごす自信はなかった。
 早々に偽物だと看破されて、余計に警戒されるのがオチだ。
 だったら自分の顔だけを隠したほうが、ごちゃごちゃ考えずに振る舞えるだろう。
 すずかは心の中で、しょうがない、と何度も言い含めた。
 もうここまできたら性根を据えてかかるしかない。

「さっき感じた気配が、もう間近に迫ってきてる。先行きは不安だけど迷ってる時間なんてない。イノちゃん。わたし、決めた。その仮面を被るよ。その怪しい仮面を!」

 無個性の白い仮面をつけたイノに向けて、すずかは決意の表情を見せて気炎をあげた。
 目を瞑ったまま腕を組んでいたアリサが、ふいに瞼を開いて虹彩の緑をあふれさせる。

「私も仮面を被るわ。正体を見破られるリスクが回避できるなら、どんなに辛い屈辱だって受け入れてみせる。【加速】と【停滞】を封印するまでの辛抱だと思えば耐えられる。やってやろうじゃない!」

 アリサがノースリーブの肩をいからせて叫んだ。
 白い吐息が月夜の闇に溶けて消える。
 イノが顔に手をやって、おもむろに仮面を外した。
 その下から出てきたのは心外そうな表情だった。

「なんだか不服そうですね。私は由緒正しい仮面だと思うんですけど……」
「ここはイノちゃんのためを思って全力で否定しておく。ぜんぜん由緒正しくないから」

 すずかは老婆心から忠告したが、じつは焦燥して気もそぞろだった。
 魔導師のものと思われる気配は、目と鼻の先にまで迫ってきている。
 もう本当に時間がないのだ。
 イノが憮然と溜息をついた。

「言いたいことは山ほどありますが、議論している暇はないみたいですね。わかりました。このことは事件が終わったあとでゆっくりと話し合いましょう。
 ではマスキングを開始します」

 イノが右腕を伸ばして掌を前にかざす。その挙措と連動して足元に魔法陣が顕現する。
 呪文を唱えることもなく、儀式は三秒ほどで完了した。
 煌々とまたたく魔法陣の光が、しずしずと音もなく消えていく。
 その隙間を埋めるがごとく、冷たい風と暗闇が押し寄せる。
 すずかは両手で顔に触れてみた。
 とくに変わった様子はない。
 けれど第三者の目には仮面をつけているように見えるらしい。
 すずかと正対するイノは満足そうに微笑んでいた。

「成功しました。すず姉さまとアリサ姉さまの顔は完璧に仮面で隠されています。これなら見た目で正体に勘づかれる(おそ)れはなくなるでしょう。ただし偽装を解除する魔法には、くれぐれも気をつけてください。私の幻術も消される可能性があります」

 ミッドチルダ式の魔法に詳しくないからなんとも言えないが……
 別人になりすましたり幻を見せたりする魔法が確立しているのだ。
 相手の迷彩を消し去る『破戒(はかい)の魔法』があってもおかしくはない。
 こちらの正体を見破られないためにも、事前に警戒しておいたほうがいいだろう。
 すずかは神妙に頷いた。

「うん。ちゃんと気をつけるよ。なにかされそうになったらすぐに逃げるから」
「賢明なご判断です。では、そろそろ私たちは実体化を解きます」

 そう呟いたイノが、ちらっと横目を使う。
 するとトワが打てば響くように首肯した。

「ですが意思疎通に問題はありません。なにかあれば頭の中で念じてください。思念通話で連絡します。あと私たちの力が必要なときは、私たちのカードを使ってください」

 トワが真摯な口調で言い添える。
 それを聞いて安心したのか、アリサがホッと吐息をついた。

「ようするに普段とあまり変わりないわけね。だったら大丈夫。あとは任せてちょうだい」

 トワとイノは心配そうな顔をしていたが、二秒後には、実体化を解いてカードの姿に戻っていた。
 もしかすると夜のしじまに気を遣ったのかもしれない。
 それは音もなければ光もない秘めやかな消失であった。
 そしてついに来るべき瞬間がやってくる。

「……アリサちゃん、あそこを見て」

 すずかは前方にそびえる校舎の真上の夜空を指さした。
 影が近づいてくる。
 米粒ほどの大きさしかない二つの影が、燦爛(さんらん)たる満月を背景に少しずつ少しずつ。
 アリサが喉を、ごくりと鳴らす。
 仮面のせいで表情はわからなかったが、全身からピリピリした緊張を発している。

「確認したわ。残念ながら予想どおりの展開になりそうね。さてどうなることやら」

 アリサが苦々しい声音で吐き捨てたときには、ふたつの影は成長して少女の輪郭に育っていた。
 桜色と金色の魔力光を流星の尾のごとく曳きながら、やがてグラウンドの固い地肌を掠めて優雅に降着する。
 のちに管理局のエースと讃えられる魔導師が、のちに敏腕の執務官として活躍する魔導師が、偉大なる二人の救世主が彼の地に足跡を刻みつけた。
 高町なのは。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。
 喪服のような夜に身を包んだ、冬の凍えた月に見守られながら。
 月村すずかとアリサ・バニングスは、この過去の世界で幼なじみと邂逅した。

 
 

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HN:
イヒダリ彰人
性別:
男性
趣味:
立ち読み、小説を書くこと
自己紹介:

イヒダリ彰人(あきひと)。
北海道に棲息する素人もの書き。
逃げ足はメタルスライムよりも速い。
でも執筆速度はカメのように遅い。
筆力が上がる魔法があればいいと常々思ってる。
目標は『見える、聞こえる、触れられる』小説を描くこと。

《尊敬する作家》
吉田直さん、久美沙織さん、冲方丁さん、渡瀬草一郎さん

《なのは属性》
知らないうちに『アリすず』に染まっていました。
でも最近は『八神家の人たち』も気になっています。
なにげにザフィーラの書きやすさは異常。
『燃え』と『萌え』をこよなく愛してます。

《ブログについて》
魔法少女リリカルなのはの二次創作小説を中心に掲載するサイト。
イヒダリ彰人の妄想をただひたすらに書きつらねていきます。
もちろん無断転載は厳禁。

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